2004年 04月 06日
My Digital Camera Histry Vol.1 デジタル移行前夜 |
僕がライブ写真を撮り始めた1998年、僕はデジタル一眼レフを使うことなど考えてもみなかった。
それどころかデジタル一眼レフの存在さえもはっきりとは知らなかった。それもその筈、その当時のデジタル一眼レフは最も安価だったモデル、キヤノンのEOS D2000でさえ、198万円もしたのだ。
画素数は200万画素で、今ではデジカメ付き携帯の画素数並だ。現在のエントリークラスのデジタル一眼レフと同等の600万画素のモデル、EOS D6000も存在したが、そちらは360万円もした。
その翌年1999年には、初の普及価格帯デジタル一眼レフと呼ばれたニコン D1が発売されるが、それでも65万円もする高価なもので、しかもバッテリーやバッテリーチャージャーや、専用ソフトなどは別売りだったので、実際に使用出来るセットを購入すると70万円は越えるのが実情だった。
その価格では、手の届かない高嶺の花であるのは変わらなかったが、D1は速報性を重視する新聞社を中心に各社メディアがこぞって採用し、一気にプロの世界ではデジタル一眼レフが銀塩一眼レフから主役の座を奪い取ることになり、その活躍は各カメラ雑誌で特集されデジタル一眼レフへの関心は高まることになった。
そして、各カメラ雑誌は普及価格帯デジタル一眼レフの発売でニコンに先を越されたキヤノンがD1を圧倒的に凌ぐ、低価格デジタル一眼レフを発売するのではないかという予想をまことしやかに書き立て、期待は掻き立てられた。
その低価格デジタル一眼レフは、銀塩一眼レフの普及モデルEOS Kissのボディを使用しているという情報で、Kiss DIGITALという仮称がまことしやかに書かれていた。
しかし、2000年に実際に発売されたEOS D30は、AFセンサー等に旧型のEOS Kissのパーツ流用はあったものの、専用設計ボディで造られ、価格も先行するD1よりは大幅に安価になったとは言え、35万円という銀塩一眼レフだったらプロ用の最高機種並の価格であり、銀塩EOS Kiss並のインパクトある普及価格モデル発売の期待は大きく裏切られた。
その後、Kiss DIGITALの仮称は何度も噂に上ったが、2002年発売のEOS D60、2003年春発売のEOS 10Dとその度にユーザーの期待は裏切られ、本当にEOS Kiss DIGITALという正式名称を持った普及モデルの発売には2003年秋まで待たされることになるのだった。
だが、EOS D30の発売は高値の花だったデジタル一眼レフを無理すれば手が届く存在まで引き下げることになり、プロだけでなく多くのハイアマチュアユーザーも購入するに至り、デジタル一眼レフは徐々に普及を伸ばして、カメラ雑誌の話題の中心になっていった。
そして、僕のようなEOS D30にもまだ手が届かないユーザーにも、近い将来デジタル一眼レフがもっと身近な存在になることを予感させ、その期待は益々高まっていったのである。
それどころかデジタル一眼レフの存在さえもはっきりとは知らなかった。それもその筈、その当時のデジタル一眼レフは最も安価だったモデル、キヤノンのEOS D2000でさえ、198万円もしたのだ。
画素数は200万画素で、今ではデジカメ付き携帯の画素数並だ。現在のエントリークラスのデジタル一眼レフと同等の600万画素のモデル、EOS D6000も存在したが、そちらは360万円もした。
その翌年1999年には、初の普及価格帯デジタル一眼レフと呼ばれたニコン D1が発売されるが、それでも65万円もする高価なもので、しかもバッテリーやバッテリーチャージャーや、専用ソフトなどは別売りだったので、実際に使用出来るセットを購入すると70万円は越えるのが実情だった。
その価格では、手の届かない高嶺の花であるのは変わらなかったが、D1は速報性を重視する新聞社を中心に各社メディアがこぞって採用し、一気にプロの世界ではデジタル一眼レフが銀塩一眼レフから主役の座を奪い取ることになり、その活躍は各カメラ雑誌で特集されデジタル一眼レフへの関心は高まることになった。
そして、各カメラ雑誌は普及価格帯デジタル一眼レフの発売でニコンに先を越されたキヤノンがD1を圧倒的に凌ぐ、低価格デジタル一眼レフを発売するのではないかという予想をまことしやかに書き立て、期待は掻き立てられた。
その低価格デジタル一眼レフは、銀塩一眼レフの普及モデルEOS Kissのボディを使用しているという情報で、Kiss DIGITALという仮称がまことしやかに書かれていた。
しかし、2000年に実際に発売されたEOS D30は、AFセンサー等に旧型のEOS Kissのパーツ流用はあったものの、専用設計ボディで造られ、価格も先行するD1よりは大幅に安価になったとは言え、35万円という銀塩一眼レフだったらプロ用の最高機種並の価格であり、銀塩EOS Kiss並のインパクトある普及価格モデル発売の期待は大きく裏切られた。
その後、Kiss DIGITALの仮称は何度も噂に上ったが、2002年発売のEOS D60、2003年春発売のEOS 10Dとその度にユーザーの期待は裏切られ、本当にEOS Kiss DIGITALという正式名称を持った普及モデルの発売には2003年秋まで待たされることになるのだった。
だが、EOS D30の発売は高値の花だったデジタル一眼レフを無理すれば手が届く存在まで引き下げることになり、プロだけでなく多くのハイアマチュアユーザーも購入するに至り、デジタル一眼レフは徐々に普及を伸ばして、カメラ雑誌の話題の中心になっていった。
そして、僕のようなEOS D30にもまだ手が届かないユーザーにも、近い将来デジタル一眼レフがもっと身近な存在になることを予感させ、その期待は益々高まっていったのである。
by ko1kubota
| 2004-04-06 19:32
| Camera