2010年 01月 24日
ラ・カメラ・シネマ・フォー・アイズ |
今日はラ・カメラのラ・カメラ・シネマ・フォー・アイズの最終日だった。
ここ最近、体力の著しい衰えから翌日仕事のある日の外出は可能な限り控えているが、今回は山田監督の新作(初上映ではないが)『琵琶姫』と『青頭巾』は最終日の今日しか観られないので、行くつもりでいて、その為に今日の体力的負担を減らす目的で今日の1回目の上映のAプログラムは既に22日に観ておいたのだが、2回目の上映に間に合えば良いという気安さから、寝坊して起きてのんびり溜まっていた某BBSへのレスを書き終えて、「さて、2回目の上映は何時からかな?」と確認した時には、もうギリギリ間に合うかどうかという時間になっていた(^^;)。
急いで家を飛び出したが、日曜日なのでなかなかバスが来ない・・それでも大抵上映は5分から10分は予定より押して始まる事が多いので、10分遅れくらいなら何とかなるかもしれないと新宿までは行ったのだが、その時点で最低でも20分以上は遅れる事が確実と判断し、諦めて引き返して来た。
今思うと、遅れて入って『青頭巾』だけでも観て帰るという選択肢もあったが、『琵琶姫』を最初から観れないのなら、中途半端に観るより次の機会を待とうと思ったのである。ライブやトークショー等今回しか観られないであろうプログラムもあったので、失敗したかもしれない・・
という訳で今回はBプログラムとCプログラムを観るに留まった。未見の旧作も多く、そういう意味では個人的には充実したプログラムだったが、新作は山崎監督の『クラゲと亀裂』しか観られなかった。
『クラゲと亀裂』はHDV制作となって2作目であるが、既に違和感は全くなくなっている。山崎監督の作風にはむしろ8mmよりもHDVの方が合っているかもしれないとさえ思える様になった。
それは今回旧作のVTR作品『見捨てるほどのワタシはありや?』と一緒に上映される事で、より鮮明になった気がする。
『見捨てるほどのワタシはありや?』でも山崎監督の作風は、8mm作品とあまり変わらない。だが、どうしても違和感がある。画質もそうであるし、背後から映写機の音が聞こえないのにも違和感があった。
ところが、どうしてだろう『クラゲと亀裂』では、背後から映写機の音が聞こえない事が、全く気にならないのだ。
それはSDVである『見捨てるほどのワタシはありや?』の画質が8mm未満である為に、どうしても8mmと比較してしまい、8mmの代替にはならないと物足りなく感じてしまうのに対して、HDVの画質が8mmとは明らかに異なる為に8mmとは全く別物のメディアであると感じて、比較する事に意味を感じないからだと思う。
SDVが8mmとの比較対象になるのに対し、HDVは比較対象にはならないと感じるので、HDVの画質を8mm以上という気はない。上か下かではなく、別物という印象だ。
だから、8mmと比較しようという意識がないので、映写機の音が聞こえない事も気にならないのだと思う。
そして、8mmカメラとHDVカメラというハードウェアの違いから、当然の様にズーミングや編集等の手法にも8mm制作時代とは違いが見られる様になって来たが、それが今回の様な路上観察系の作品には良くマッチしていて、それが8mmよりもむしろ合っているのではないかと感じた原因になっている。
また、音楽もアップルのDTMソフトgaragebandで作られている。前作『マルフク百景』もそうだったと思うのだが、どんな音楽だったか憶えていないし、むしろ同録の自然音の方が印象に残っている。
8mm作品でも『こぼれる黄金の月』の様にデジタルっぽいBGMのものもあったけど、あれはリズムマシンを内蔵したキーボードで演奏されたもので、電子音ではあったけどアナログな感じのするBGMで、山崎監督らしいというか8mm作品に良くマッチしている印象だったが、HDV制作に合わせてか音楽も割と普通というか正統的なDTM的BGMになっていて、山崎監督らしくないと思う人も多いかもしれないと思う。
でも、個人的には今回の作品のBGMは非常にHDVの映像に合っていたと思うし、HDVとDTMによるフルデジタルによる映像作品制作というのに、真っ向から取り組んでいるという感じがして潔いと思った。
わざと、外した感じのBGMを付けて、8mm時代の山崎監督らしさを演出する事も出来たと思うけど、それをしなかったのはむしろ8mm映画を長く撮り続けて来た監督のプライドではないかと思う。
『クラゲと亀裂』はそのBGMも含めて映像作品として非常に気持ちが良い作品だと思う。そして、非常に山崎監督らしい作品であり、同時に全く8mm映画らしい所がない作品でもある。
当たり前の事ではあるが、山崎監督らしさと、8mm映画らしさはイコールではないという事を改めて示した作品だと思う。
これは8mm映画の山崎監督という肩書き、あるいはイメージを捨てて、数多のデジタル映像作家達と同じ土俵で勝負しようという気持ちの現れではないかと思う。
元々路上観察系の作品はそういう指向の強い作品群であったのかもしれないが、その事をHDV製作になった事でより強く感じさせられたという事かもしれない。
そして、山崎監督は現在HDV制作による劇映画作品も撮影中の筈だ。今度はそのHDV制作の劇映画がどの様なものになるのか、益々観てみたくなった。その完成を楽しみに待ちたいと思う。
ここ最近、体力の著しい衰えから翌日仕事のある日の外出は可能な限り控えているが、今回は山田監督の新作(初上映ではないが)『琵琶姫』と『青頭巾』は最終日の今日しか観られないので、行くつもりでいて、その為に今日の体力的負担を減らす目的で今日の1回目の上映のAプログラムは既に22日に観ておいたのだが、2回目の上映に間に合えば良いという気安さから、寝坊して起きてのんびり溜まっていた某BBSへのレスを書き終えて、「さて、2回目の上映は何時からかな?」と確認した時には、もうギリギリ間に合うかどうかという時間になっていた(^^;)。
急いで家を飛び出したが、日曜日なのでなかなかバスが来ない・・それでも大抵上映は5分から10分は予定より押して始まる事が多いので、10分遅れくらいなら何とかなるかもしれないと新宿までは行ったのだが、その時点で最低でも20分以上は遅れる事が確実と判断し、諦めて引き返して来た。
今思うと、遅れて入って『青頭巾』だけでも観て帰るという選択肢もあったが、『琵琶姫』を最初から観れないのなら、中途半端に観るより次の機会を待とうと思ったのである。ライブやトークショー等今回しか観られないであろうプログラムもあったので、失敗したかもしれない・・
という訳で今回はBプログラムとCプログラムを観るに留まった。未見の旧作も多く、そういう意味では個人的には充実したプログラムだったが、新作は山崎監督の『クラゲと亀裂』しか観られなかった。
『クラゲと亀裂』はHDV制作となって2作目であるが、既に違和感は全くなくなっている。山崎監督の作風にはむしろ8mmよりもHDVの方が合っているかもしれないとさえ思える様になった。
それは今回旧作のVTR作品『見捨てるほどのワタシはありや?』と一緒に上映される事で、より鮮明になった気がする。
『見捨てるほどのワタシはありや?』でも山崎監督の作風は、8mm作品とあまり変わらない。だが、どうしても違和感がある。画質もそうであるし、背後から映写機の音が聞こえないのにも違和感があった。
ところが、どうしてだろう『クラゲと亀裂』では、背後から映写機の音が聞こえない事が、全く気にならないのだ。
それはSDVである『見捨てるほどのワタシはありや?』の画質が8mm未満である為に、どうしても8mmと比較してしまい、8mmの代替にはならないと物足りなく感じてしまうのに対して、HDVの画質が8mmとは明らかに異なる為に8mmとは全く別物のメディアであると感じて、比較する事に意味を感じないからだと思う。
SDVが8mmとの比較対象になるのに対し、HDVは比較対象にはならないと感じるので、HDVの画質を8mm以上という気はない。上か下かではなく、別物という印象だ。
だから、8mmと比較しようという意識がないので、映写機の音が聞こえない事も気にならないのだと思う。
そして、8mmカメラとHDVカメラというハードウェアの違いから、当然の様にズーミングや編集等の手法にも8mm制作時代とは違いが見られる様になって来たが、それが今回の様な路上観察系の作品には良くマッチしていて、それが8mmよりもむしろ合っているのではないかと感じた原因になっている。
また、音楽もアップルのDTMソフトgaragebandで作られている。前作『マルフク百景』もそうだったと思うのだが、どんな音楽だったか憶えていないし、むしろ同録の自然音の方が印象に残っている。
8mm作品でも『こぼれる黄金の月』の様にデジタルっぽいBGMのものもあったけど、あれはリズムマシンを内蔵したキーボードで演奏されたもので、電子音ではあったけどアナログな感じのするBGMで、山崎監督らしいというか8mm作品に良くマッチしている印象だったが、HDV制作に合わせてか音楽も割と普通というか正統的なDTM的BGMになっていて、山崎監督らしくないと思う人も多いかもしれないと思う。
でも、個人的には今回の作品のBGMは非常にHDVの映像に合っていたと思うし、HDVとDTMによるフルデジタルによる映像作品制作というのに、真っ向から取り組んでいるという感じがして潔いと思った。
わざと、外した感じのBGMを付けて、8mm時代の山崎監督らしさを演出する事も出来たと思うけど、それをしなかったのはむしろ8mm映画を長く撮り続けて来た監督のプライドではないかと思う。
『クラゲと亀裂』はそのBGMも含めて映像作品として非常に気持ちが良い作品だと思う。そして、非常に山崎監督らしい作品であり、同時に全く8mm映画らしい所がない作品でもある。
当たり前の事ではあるが、山崎監督らしさと、8mm映画らしさはイコールではないという事を改めて示した作品だと思う。
これは8mm映画の山崎監督という肩書き、あるいはイメージを捨てて、数多のデジタル映像作家達と同じ土俵で勝負しようという気持ちの現れではないかと思う。
元々路上観察系の作品はそういう指向の強い作品群であったのかもしれないが、その事をHDV製作になった事でより強く感じさせられたという事かもしれない。
そして、山崎監督は現在HDV制作による劇映画作品も撮影中の筈だ。今度はそのHDV制作の劇映画がどの様なものになるのか、益々観てみたくなった。その完成を楽しみに待ちたいと思う。
by ko1kubota
| 2010-01-24 20:43
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