2005年 06月 24日
三日月バビロン旗揚げ公演「虚空夜 〜クレプシドラ・サナトリウム〜」 |
今日は三日月バビロンの旗揚げ公演「虚空夜 〜クレプシドラ・サナトリウム〜」の初日だった。
先日、mixiでマイク・オールドフィールドの話題が出た事もあって、MP3プレイヤーにマイクの曲をウ゛ォーカル曲を中心にセレクトして転送して聴きながらザムザ阿佐ヶ谷へ向かう。
会場に入ると客入れのBGMはマイク・オールドフィールドだった。選曲もかなりだぶっている。もっとも三日月にマイク・オールドフィールドを勧めたのは僕だし、ウ゛ォーカル曲中心のセレクトなので、「ムーンライトシャドウ」や「トゥフランス」等の人気曲がダブるのは驚きには値しないが、インストで全く傾向の違う「エチュード」がそこに混じっている所までダブっている偶然には少々驚く。会場に入っても、その直前まで聴いていた曲がBGMで流れているのは不思議な気分だ。
この作品は基本的には三日月少年時代の「コクーヤ 〜水時計サナトリウム〜」の再演である。
個人的には櫻木バビさんの作品に共通するテーマが最も色濃く描かれた作品で、代表作と言って良い作品だと思うし、8mm映画界の巨匠山崎監督による映写を交えた演出も非常に斬新で効果的であり、新名称での旗揚げ公演に選ばれるのに最適な作品だと思うが、単なる再演ではなく大きく変更を加えられている。
新しいシチュエーションやキャラクターが加えられている一方で、いなくなった(というより、統合された)キャラクターもいる。基本的には内容を分かりやすくする意図で変更が加えられたと思われる。実際、変更されたシチュエーションの中には初演を観ている人間としては、「え?ここでそれを見せちゃうの?」と思う様な伏線もあって、初演よりかなり分かりやすい構成になっていると思う。
しかしながら、それは初演と比べればという意味であって、相変わらず難解な内容である事は変わっていない。上記の伏線にしても初演を観ていなければ、重要な伏線だとは気付かないだろうし、初見で内容を全て理解出来る人は先ずいないのではないだろうか?
僕は難解である事が悪い事だとは思わない。むしろファンの立場からすると分かりやすくする必要なんてないんじゃないかという気持ちもある。だが、作演出家の立場からすると分かりやすくしようという考えも理解は出来る。
初演の「コクーヤ」は僕が初めて観た三日月少年の舞台であると同時に、初めて舞台撮影をした作品であり、三日月少年に惚れ込んだきっかけの作品のでもある。(厳密に言うと作演の櫻木バビさんと主演の伊東さんにお会いした時点で、この人達が演る舞台は素晴らしいに違いないと確信して撮影を申し込んだので、作品を観る以前に惚れ込んでいた様なものだが、確信を越える作品に打ちのめされたのだ)それだけに思い入れの強い作品であり、その作品を再び観られた事の感慨も大きいし、その変化に対する複雑な思いがある事も否定出来ない。
だからと言って、その変化を否定する事は出来ない。一回観ただけでは評価は下せないが良い悪いは別にして、前に進む事を否定する事は出来ない。いや、過去の作品の再演を否定して来た櫻木バビさんが再演する以上、「コクーヤ」とは別の新しい作品として観るべきであろう。
「コクーヤ」は、あの時点で自分に出来るだけの事はしたと思うし、当時の自分としては初めての舞台撮影にしては思ったよりも良い写真が撮れたのではないかと思う反面、流石に初の舞台撮影だった事もあり反省点も多く、出来るなら過去に戻ってもう一度撮り直したいという思いも強い。
だが、当たり前の事だがそれが適わぬ夢物語である事も改めて痛感させられた。例え再演されたとしても、当時と同じ「コクーヤ」をもう一度撮る事は不可能なのだ。無論、それが分かっていたからこそ、僕は三日月少年の舞台を一度も観ていない段階で「コクーヤ」の撮影を申し込んだのだ。観てから「撮らせて貰えば良かった」と後悔しても後の祭りだからだ。
いつでも僕は「撮らなかった事を後悔したくない」「シャッターを押さなかった事を後悔したくない」と思って写真を撮って来た。撮り逃したものは二度と撮り直す事は出来ない。だから撮りたいと思ったものを絶対撮り逃したくないといつも強く思っている。
それは気持ちの問題だけではない。フィルム時代は撮りたいと思った時にフィルムが終わって撮れなかったという事態を避けたいと思って、必要と思う数を上回る本数のフィルムを用意する様にしていた。特に三日月少年の公演の撮影ではいつも以上に多めにフイルムを用意したつもりでいたが、いつも結局フィルムが足りなくなった。そしてフィルムチェンジのロスタイムが本当に辛かった。三日月少年の舞台写真を撮った事で、僕は急速にデジタルへの移行を進める事になった。
後悔しない写真を撮りたいという事は、後悔しない生き方をしたいという事でもある。それでも写真での後悔もあるし、人生での後悔もある。でも、写真を撮る時には常に撮らないで後悔するより撮って後悔する方が良いと思っているし、人生においても同じ様に考えている。
人生においては、言い過ぎたりやり過ぎたりして失敗する事の方が多いが、それでも、その時言うべきだと思った事を言った事を、やるべきだと思ってやった事を、結果が悪かったからと言って後悔はしたくない。上手く言えなかった事や、上手くやれなかった事を反省はしても、あんな事を言わなければ、あんな事をしなければと、言った事自体、やった事自体を後悔はしたくはない。
「虚空夜」の「あんた、今を生きてるんだよ」という台詞を聞いて、改めてその思いを強くした。
「コクーヤ」から変わった所の多い「虚空夜」だが、驚く程変わらなかったものもある。それが同じシーンにおける主演の狩野夏妃(伊東香穂里)さんの演技だ。
僕は誰かに見せる為でなく自分自身で見る為に写真を撮っているので、とにかく自分の撮った写真を繰り返し良く見る。中でも「コクーヤ」程何度も何度も繰り返し見た写真はないのだが、同じシーンの狩野さんの演技が、表情からポーズから動きから、まるで「コクーヤ」の写真を見ているかの様に全く同じなのだ。5年の歳月を経てそれを昨日の様に感じさせる全くブレのない演技には感嘆するしかない。
勿論それは進歩がないというのとは全く違う。5年前の時点でそれだけ完成していたという事だ。脚本を大きく変更した作演が脚本に手を入れなかったシーンの狩野さんの演技に全く手を入れていない事からも、演出としても演技としても完成していたという事が分かる。
狩野さんが役者として進歩している事は、「コクーヤ」にはなかった演技で確認出来る。キャラクターが統合された事により、「コクーヤ」では別のキャラクターが演じていたシーンを狩野さんが演じているのだが、この点の変更については内容を分かりやすくする為の変更だとは思えない。
何故なら、この点についてはむしろ別キャラクターがいた方が分かりやすかったのではないかという気がするからだが、もしかしたら「コクーヤ」でも本来は狩野さんに演じさせたかったシチュエーションを逆に諸事情で別キャラクターに振り分けたのではないかという気がした。(いや、むしろ今回の方が諸事情で狩野さんがこのシーンを演じるしかなかったのかもしれない)
その辺の真意は不明だが、5年前に「コクーヤ」を観た人にとっても、新しい「虚空夜」の演技の幅を広げた狩野夏妃さんの演技は必見ではないかと思う。
先日、mixiでマイク・オールドフィールドの話題が出た事もあって、MP3プレイヤーにマイクの曲をウ゛ォーカル曲を中心にセレクトして転送して聴きながらザムザ阿佐ヶ谷へ向かう。
会場に入ると客入れのBGMはマイク・オールドフィールドだった。選曲もかなりだぶっている。もっとも三日月にマイク・オールドフィールドを勧めたのは僕だし、ウ゛ォーカル曲中心のセレクトなので、「ムーンライトシャドウ」や「トゥフランス」等の人気曲がダブるのは驚きには値しないが、インストで全く傾向の違う「エチュード」がそこに混じっている所までダブっている偶然には少々驚く。会場に入っても、その直前まで聴いていた曲がBGMで流れているのは不思議な気分だ。
この作品は基本的には三日月少年時代の「コクーヤ 〜水時計サナトリウム〜」の再演である。
個人的には櫻木バビさんの作品に共通するテーマが最も色濃く描かれた作品で、代表作と言って良い作品だと思うし、8mm映画界の巨匠山崎監督による映写を交えた演出も非常に斬新で効果的であり、新名称での旗揚げ公演に選ばれるのに最適な作品だと思うが、単なる再演ではなく大きく変更を加えられている。
新しいシチュエーションやキャラクターが加えられている一方で、いなくなった(というより、統合された)キャラクターもいる。基本的には内容を分かりやすくする意図で変更が加えられたと思われる。実際、変更されたシチュエーションの中には初演を観ている人間としては、「え?ここでそれを見せちゃうの?」と思う様な伏線もあって、初演よりかなり分かりやすい構成になっていると思う。
しかしながら、それは初演と比べればという意味であって、相変わらず難解な内容である事は変わっていない。上記の伏線にしても初演を観ていなければ、重要な伏線だとは気付かないだろうし、初見で内容を全て理解出来る人は先ずいないのではないだろうか?
僕は難解である事が悪い事だとは思わない。むしろファンの立場からすると分かりやすくする必要なんてないんじゃないかという気持ちもある。だが、作演出家の立場からすると分かりやすくしようという考えも理解は出来る。
初演の「コクーヤ」は僕が初めて観た三日月少年の舞台であると同時に、初めて舞台撮影をした作品であり、三日月少年に惚れ込んだきっかけの作品のでもある。(厳密に言うと作演の櫻木バビさんと主演の伊東さんにお会いした時点で、この人達が演る舞台は素晴らしいに違いないと確信して撮影を申し込んだので、作品を観る以前に惚れ込んでいた様なものだが、確信を越える作品に打ちのめされたのだ)それだけに思い入れの強い作品であり、その作品を再び観られた事の感慨も大きいし、その変化に対する複雑な思いがある事も否定出来ない。
だからと言って、その変化を否定する事は出来ない。一回観ただけでは評価は下せないが良い悪いは別にして、前に進む事を否定する事は出来ない。いや、過去の作品の再演を否定して来た櫻木バビさんが再演する以上、「コクーヤ」とは別の新しい作品として観るべきであろう。
「コクーヤ」は、あの時点で自分に出来るだけの事はしたと思うし、当時の自分としては初めての舞台撮影にしては思ったよりも良い写真が撮れたのではないかと思う反面、流石に初の舞台撮影だった事もあり反省点も多く、出来るなら過去に戻ってもう一度撮り直したいという思いも強い。
だが、当たり前の事だがそれが適わぬ夢物語である事も改めて痛感させられた。例え再演されたとしても、当時と同じ「コクーヤ」をもう一度撮る事は不可能なのだ。無論、それが分かっていたからこそ、僕は三日月少年の舞台を一度も観ていない段階で「コクーヤ」の撮影を申し込んだのだ。観てから「撮らせて貰えば良かった」と後悔しても後の祭りだからだ。
いつでも僕は「撮らなかった事を後悔したくない」「シャッターを押さなかった事を後悔したくない」と思って写真を撮って来た。撮り逃したものは二度と撮り直す事は出来ない。だから撮りたいと思ったものを絶対撮り逃したくないといつも強く思っている。
それは気持ちの問題だけではない。フィルム時代は撮りたいと思った時にフィルムが終わって撮れなかったという事態を避けたいと思って、必要と思う数を上回る本数のフィルムを用意する様にしていた。特に三日月少年の公演の撮影ではいつも以上に多めにフイルムを用意したつもりでいたが、いつも結局フィルムが足りなくなった。そしてフィルムチェンジのロスタイムが本当に辛かった。三日月少年の舞台写真を撮った事で、僕は急速にデジタルへの移行を進める事になった。
後悔しない写真を撮りたいという事は、後悔しない生き方をしたいという事でもある。それでも写真での後悔もあるし、人生での後悔もある。でも、写真を撮る時には常に撮らないで後悔するより撮って後悔する方が良いと思っているし、人生においても同じ様に考えている。
人生においては、言い過ぎたりやり過ぎたりして失敗する事の方が多いが、それでも、その時言うべきだと思った事を言った事を、やるべきだと思ってやった事を、結果が悪かったからと言って後悔はしたくない。上手く言えなかった事や、上手くやれなかった事を反省はしても、あんな事を言わなければ、あんな事をしなければと、言った事自体、やった事自体を後悔はしたくはない。
「虚空夜」の「あんた、今を生きてるんだよ」という台詞を聞いて、改めてその思いを強くした。
「コクーヤ」から変わった所の多い「虚空夜」だが、驚く程変わらなかったものもある。それが同じシーンにおける主演の狩野夏妃(伊東香穂里)さんの演技だ。
僕は誰かに見せる為でなく自分自身で見る為に写真を撮っているので、とにかく自分の撮った写真を繰り返し良く見る。中でも「コクーヤ」程何度も何度も繰り返し見た写真はないのだが、同じシーンの狩野さんの演技が、表情からポーズから動きから、まるで「コクーヤ」の写真を見ているかの様に全く同じなのだ。5年の歳月を経てそれを昨日の様に感じさせる全くブレのない演技には感嘆するしかない。
勿論それは進歩がないというのとは全く違う。5年前の時点でそれだけ完成していたという事だ。脚本を大きく変更した作演が脚本に手を入れなかったシーンの狩野さんの演技に全く手を入れていない事からも、演出としても演技としても完成していたという事が分かる。
狩野さんが役者として進歩している事は、「コクーヤ」にはなかった演技で確認出来る。キャラクターが統合された事により、「コクーヤ」では別のキャラクターが演じていたシーンを狩野さんが演じているのだが、この点の変更については内容を分かりやすくする為の変更だとは思えない。
何故なら、この点についてはむしろ別キャラクターがいた方が分かりやすかったのではないかという気がするからだが、もしかしたら「コクーヤ」でも本来は狩野さんに演じさせたかったシチュエーションを逆に諸事情で別キャラクターに振り分けたのではないかという気がした。(いや、むしろ今回の方が諸事情で狩野さんがこのシーンを演じるしかなかったのかもしれない)
その辺の真意は不明だが、5年前に「コクーヤ」を観た人にとっても、新しい「虚空夜」の演技の幅を広げた狩野夏妃さんの演技は必見ではないかと思う。
by ko1kubota
| 2005-06-24 23:22
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