2005年 06月 18日
山田監督の新作上映会 |
今日はラ・カメラで山崎監督と山田監督の新作上映会だったのだが、色々あってギリギリの時間になってしまった。
小田急新宿駅でこれに乗ったらギリギリ間に合ったかもしれない電車が目の前で発車してしまったので、しばらくホームで迷ったあげく、次の電車を待っても最初から観られないのは確実なので、一旦改札を出て新宿で時間を潰してから、山田監督のプログラム開始時間に間に合う様にラ・カメラへ向かう事にする。
今回の山田監督の新作は「Chrysanthemum綺想」と「はづかしさと夢とひかりと」の2本。ラ・カメラは「はづかしさと夢とひかりと」の主演の少年役の方のご家族(というよりご親族だろうか)が大勢駆けつけた事もあって超満員になった。
「Chrysanthemum綺想」は既にCINE VIS CVINEMA 2005で観ていた作品だが、相変わらず山田監督の高い美意識を感じさせる作品だ。監督であり撮影者でもある山田監督と、ただひとりの出演者との二人だけで撮影された濃密な時間が流れている。
「はづかしさと夢とひかりと」は「Chrysanthemum綺想」の様な動画によるポートレート的な作品を一歩押し進めた様な作品で、少年と大人の女性と二人の登場人物が存在する。その為そこには何らかの関係性が生じ、そしてそれは何らかの物語性を内包していると言えると思う。だが、台詞も字幕もない作品形態であり、観る者がその内容を推し量るのは難しい。
少年はどこか山田監督ご自身に面影が似ている所があり、若い頃の山田監督はこんな感じの少年だったのではないかと思わせる様な雰囲気がある。少年はただ死んだ様に横たわっているだけで、もう一人の出演者である女性はその少年の周りを静かに歩いて、近寄ったり遠ざかったりを繰り返し、更には横たわる少年に手を差し伸べるが、その動作が何度もリピートされ、なかなかその手が少年に触れる事はない。
8mm映画なので、リピートされるシーンは、その都度何度も同じ動作を繰り返して撮り直した筈であり、非常に忍耐力を必要とされる撮影だったのではないかと思う。
山田監督がどう考えているかは分からないが、少年にとっての性が死のイメージと結びついているという感覚は何となく分かる様な気がする。だとすれば成熟した女性の性とは生の象徴であろうか?そしてその両者は近づこうとしてもなかなか接近せず、またある時は遠ざかり、交わろうとしてもなかなか交わらない。その近づいたり遠ざかったりしながら交わりそうで交わらない距離感の狭間に山田監督の表現したいエロスがあるのかもしれない。
そんな事を考えながら、この映画を少年役のご親族の方々はどう思って観ているのだろうか?という事が気になってしまった。
上映終了後は恒例の打ち上げとなる。Chrome Greenの吉本さんもいらしていて、吉本さんからライブ写真のお礼を言っていただく。吉本さんからは最初にウェブアルバムにアップした縮小写真より、後からCD-Rでお渡ししたオリジナルサイズの写真の方がかなり枚数が多かったので、「選択するのも大変だったでしょう」と言われた。別に大変な事だとは思わなかったので「そんな事ないですよ」とお答えしたのだが、選択するのが大変と言われた事に何か違和感の様な物を感じた。
その時はその違和感が何か良く分からなかったのだが、後から考えると撮影後の写真をチェックしたり選択したりという作業は、大変というよりむしろとても楽しい作業なのだと改めて気付き、自分が楽しんでやっている事だったので大変と言われた事に違和感を感じたのだと思う。
上映後の打ち上げでは、当然その日の上映作品の話題が出るのだが、今日は山崎監督の上映には間に合わず観ていないので話題の輪に入れず悔しい思いをする。
会場には海外にコダックの白黒フィルムを現像に出していてトラブルに合われたばかりの映像作家の方もいらしており、しばし8mmフィルムの生産終了や現像に関する問題の話題が続き、映像作家の方々がいかに苦労して作品作りをしているか、その一端が少しだけ分かった様な気がした。
それでも決して暗いムードにはならず、前向きで明るい映像作家の方々のバイタリティに感心させられる酒席だった。
小田急新宿駅でこれに乗ったらギリギリ間に合ったかもしれない電車が目の前で発車してしまったので、しばらくホームで迷ったあげく、次の電車を待っても最初から観られないのは確実なので、一旦改札を出て新宿で時間を潰してから、山田監督のプログラム開始時間に間に合う様にラ・カメラへ向かう事にする。
今回の山田監督の新作は「Chrysanthemum綺想」と「はづかしさと夢とひかりと」の2本。ラ・カメラは「はづかしさと夢とひかりと」の主演の少年役の方のご家族(というよりご親族だろうか)が大勢駆けつけた事もあって超満員になった。
「Chrysanthemum綺想」は既にCINE VIS CVINEMA 2005で観ていた作品だが、相変わらず山田監督の高い美意識を感じさせる作品だ。監督であり撮影者でもある山田監督と、ただひとりの出演者との二人だけで撮影された濃密な時間が流れている。
「はづかしさと夢とひかりと」は「Chrysanthemum綺想」の様な動画によるポートレート的な作品を一歩押し進めた様な作品で、少年と大人の女性と二人の登場人物が存在する。その為そこには何らかの関係性が生じ、そしてそれは何らかの物語性を内包していると言えると思う。だが、台詞も字幕もない作品形態であり、観る者がその内容を推し量るのは難しい。
少年はどこか山田監督ご自身に面影が似ている所があり、若い頃の山田監督はこんな感じの少年だったのではないかと思わせる様な雰囲気がある。少年はただ死んだ様に横たわっているだけで、もう一人の出演者である女性はその少年の周りを静かに歩いて、近寄ったり遠ざかったりを繰り返し、更には横たわる少年に手を差し伸べるが、その動作が何度もリピートされ、なかなかその手が少年に触れる事はない。
8mm映画なので、リピートされるシーンは、その都度何度も同じ動作を繰り返して撮り直した筈であり、非常に忍耐力を必要とされる撮影だったのではないかと思う。
山田監督がどう考えているかは分からないが、少年にとっての性が死のイメージと結びついているという感覚は何となく分かる様な気がする。だとすれば成熟した女性の性とは生の象徴であろうか?そしてその両者は近づこうとしてもなかなか接近せず、またある時は遠ざかり、交わろうとしてもなかなか交わらない。その近づいたり遠ざかったりしながら交わりそうで交わらない距離感の狭間に山田監督の表現したいエロスがあるのかもしれない。
そんな事を考えながら、この映画を少年役のご親族の方々はどう思って観ているのだろうか?という事が気になってしまった。
上映終了後は恒例の打ち上げとなる。Chrome Greenの吉本さんもいらしていて、吉本さんからライブ写真のお礼を言っていただく。吉本さんからは最初にウェブアルバムにアップした縮小写真より、後からCD-Rでお渡ししたオリジナルサイズの写真の方がかなり枚数が多かったので、「選択するのも大変だったでしょう」と言われた。別に大変な事だとは思わなかったので「そんな事ないですよ」とお答えしたのだが、選択するのが大変と言われた事に何か違和感の様な物を感じた。
その時はその違和感が何か良く分からなかったのだが、後から考えると撮影後の写真をチェックしたり選択したりという作業は、大変というよりむしろとても楽しい作業なのだと改めて気付き、自分が楽しんでやっている事だったので大変と言われた事に違和感を感じたのだと思う。
上映後の打ち上げでは、当然その日の上映作品の話題が出るのだが、今日は山崎監督の上映には間に合わず観ていないので話題の輪に入れず悔しい思いをする。
会場には海外にコダックの白黒フィルムを現像に出していてトラブルに合われたばかりの映像作家の方もいらしており、しばし8mmフィルムの生産終了や現像に関する問題の話題が続き、映像作家の方々がいかに苦労して作品作りをしているか、その一端が少しだけ分かった様な気がした。
それでも決して暗いムードにはならず、前向きで明るい映像作家の方々のバイタリティに感心させられる酒席だった。
by ko1kubota
| 2005-06-18 23:57
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