2004年 04月 15日
エレファントカシマシ |
先月末、フジTVの深夜でエレファントカシマシのドキュメンタリー「扉の向こう」の放送があった。なかなか凄い番組だった。
エレカシと言えば、Sony Recordsから突然契約を切られ、1年のブランクの後ポニーキャニオンと契約し、「今宵の月のように」をヒットさせた一件が印象的だ。
ソニー時代のエレカシはある意味奇跡の様なバンドだった。ソニーはエレカシは売れなくとも良いと自由にさせているという印象があり、当時はソニーは凄いレコード会社だと思っていた。
しかし、エレカシとの契約を突然切ってしまったのには釈然としないものを感じた。エレカシが売れなくて商売にならないから契約を切る。一件それは営利企業として当然の事のようにも思える。だが、ソニーはレコード会社としてエレカシを売るための努力をしていた様には見えなかった。ファンの目からはどう見ても、レコード会社としてはエレカシはこのままでいい、少なくても今いる固定ファンだけを相手にしていれば充分で、不特定多数に向けたヒット曲などいらないという方針にしか思えなかったからだ。
事実、後に宮本もインタビューで「何も言ってくれなかったのがショックだった。」と語っている。レコード会社から、「今のままだと契約更新は難しい。ヒット曲を書いてくれ。」と言われて、それでも駄目だったら納得も行く。しかし宮本自身、レコード会社は今のままで良いと考えていると思っていたのに突然契約を切られたのはショックだったようだ。
だから宮本は拾ってくれたポニーキャニオンの意気に応えるため、ヒット曲を書くことに挑戦する。それは「今宵の月のように」のヒットに繋がり、結果としてソニーの失策を証明することになる。
ソニーは宮本にヒット曲など書けないと判断していたのだと思う。そしてエレカシの曲はプロモーションをかけたとしても、不特定多数のリスナーには相手にされない、ヒットするはずがないと考えていたに違いない。
事実、「今宵の月のように」はそれまでのエレカシの路線と大きく違う曲ではない。決して安易に売れ線を狙った曲ではなく、いかにも宮本らしい曲だ。宮本自身「自分の歌が今までヒットしなかったのは、伝える力が弱かったからだと思い、『今宵の月のように』はどうやったら伝わるかを一生懸命考えながら作ったが、そう思えば思うほど哲学的な内容になってしまった。」と語っている。
ソニーが考えた通り、宮本はヒットのために自分の個性を捨てることは出来なかった。だが、ポニーキャニオンは「今宵の月のように」をヒットさせるために、ドラマ主題歌のタイアップを取るなどプロモーションに最大限の努力をし、宮本もレコード会社の努力に報いるために、今まで出演しなかったゴールデンタイムの音楽番組だけでなく、バラエティ番組やドラマまでにも出演した。
「今宵の月のように」のヒットはレコード会社がエレカシの曲をヒットさせようと努力すればヒットさせられることを証明した。
だが、どんなにプロモーションをかけても楽曲にヒットするだけの力が無かったら絶対にヒットしないだろう。宮本が「今宵の月のように」でした伝える為の努力が実を結んだのも確かだと思う。今までの路線と大きく違わない宮本らしい曲と書いたが、それは今までの曲と同じレベルの曲という意味ではない。
ソニーから契約を切られてからの経験と、自分の曲を自分らしさを失わないままヒットさせるためにしたあらゆる努力は、宮本を人間としてもミュージシャンとしても成長させ、「今宵の月のように」という楽曲にヒットするだけの力を与えたのも間違いない事実だと思う。
その後、エレカシが突然ポニーキャニオンから東芝EMIへ移籍したのには少々驚いた。宮本は「佐久間プロデューサーとポニーキャニオンのスタッフが本当にエレカシの事を真剣に考えてくれているのが良く分かるから、音楽的に意見が対立したときにどうしても我を突き通すことが出来なかった。」と語っている。そして、完全にセルフプロデュースで自由にさせて貰えるという確約と共に東芝EMIへ移籍を決めたという事だった。
勿論、ポニーキャニオン時代を否定する必要もないと思う。ソニーから契約を切られた経験が宮本を成長させたように、ポニーキャニオン時代の経験が宮本を更に成長させ、その結果が東芝EMIへの移籍に繋がったという事だと思う。
だから、東芝EMIで手に入れた自由というのは、単に放任されていたソニー時代の自由とは全く意味が違う。宮本はポニーキャニオンのスタッフがエレカシをヒットさせようと努力した姿を目の当たりにし、自分自身もそれに協力して、今の日本の音楽シーンでヒットを生む事の大変さを身に染みて感じた筈だと思う。
その上で、今度はその責任を自分達で背負い込もうとしているのだ。ポニーキャニオン時代宮本はドラマにまで出演した事について「今の日本でロックなんてやってるんだから、その為にだったら何だってやる。」と語っていたが、東芝EMI移籍後はTVで音楽以外の活動をする姿は一切見られなくなった。
ポニーキャニオンでの経験を踏まえた上で、ヒットのその先へ行くために、宮本は純粋に音楽のみで勝負する事に決め、その結果に言い訳の余地を残さないように、その責任を全て自分達で背負うために、音楽性に関する意志決定の部分で自分達以外の人間の関与を完全に排除する体制を選んだのだろう。
そして、「今宵の月のように」のヒットは宮本を成長させただけではない。「扉の向こう」ではエレカシのファンも追いかけていたが、その中には「今宵の月のように」でファンになり、今も幼い子供と一緒にエレカシを応援し続けている主婦も登場した。
今の日本のヒット曲はほとんど一過性の熱しやすく冷めやすいリスナー層に支えられている。「今宵の月のように」を買ったリスナーの多くは今はエレカシの事など忘れて新しいスターに夢中という人が大多数かも知れない。
しかし、「今宵の月のように」のヒットは、数は少ないかも知れないがこの曲のヒットがなければ、エレカシの存在にさえ気が付かなかったかも知れない、潜在的な固定ファンを発掘する事にも貢献したのだ。
「扉の向こう」では、その先を目指して曲を書き、レコーディングする宮本の姿を垣間見せてくれた。
特にレコーディング風景は壮絶だった。宮本はレコーディング中、バンドのメンバーを容赦なく怒鳴りつける。それは口汚く罵ると表現するのが妥当とも思えるほど激しいものだった。一瞬、ここまでしなければならないなら渋谷陽一氏がよくインタビューでそそのかしている様に、ソロになって一流のスタジオミュージシャンをバックにレコーディングした方が確かに楽じゃないかと思うほどだった。
しかし、直ぐにそうではない事が分かった。宮本がバンドのメンバーに向けている言葉は宮本自身に向けた言葉でもあるのだ。宮本は年齢と共に自分の衰えを実感し、若い頃には自然に備わっていたロッカーとしての激しさを必死に取り戻そうとしているようだった。しかも、単に若い頃と同じ激しさでは意味がない、現在の年齢に相応しい深みを伴っていなければ意味がないと感じている様だった。
そして、必死にその高みに自分を引き上げようと、自分で自分を追い込み、同じ事をバンドのメンバーにも要求しているのだろう。バンドのメンバーを追い込むことで、更に自分自身を追い込んでもいるのだ。
宮本には、今まで一緒に歩んできて、同じ悩み、同じ理想を共有出来る存在がどうしても必要なのだろう。それがエレファントカシマシというバンドなのだ。
確かに、佐久間プロデューサーにも、一流のスタジオミュージシャンにもあの様に怒鳴りつけることは出来ないだろう。それが出来ないと宮本は煮詰まってしまい、逆に思うようなレコーディングは出来ないのかも知れない。
それは、ある意味バンドのメンバーに甘えているとも言えると思うが、宮本自身がバンドのメンバーに言う以上に自分に厳しいのも確かだと思う。それを知っているから、バンドのメンバーも宮本に一言も言い返さず黙って黙々と演奏を続けるのだろう。
バンドのメンバー達もまた、宮本の目指している高みを見てみたい、出来れば自分達も一緒にその高みまで行きたいと思っているのだと思う。
「扉の向こう」を観ていて、エレカシのリーダーとして宮本がまるで暴君のように君臨して強引にメンバーを引っ張っていく体制というのは宮本にとってベストな体制に違いないと思った。そしてその一件暴君にも思える宮本を本当に理解して付いていけるメンバーも、今のエレカシのメンバーしか存在しないだろうと感じた。
そして、レコーディングされていた曲は凄くカッコイイものに仕上がりつつあるようだった(それは既に発売中のアルバム「扉」を聴けばもう確認できるのだが)。宮本の楽曲がまたひとつ上のステージに上がったのを感じさせるのだが、音が凄くカッコイイのだ。宮本の目指しているバンドサウンドに到達したのか、それともまだ及ばないのかは分からないのだが、とにかくシンプルではあるが研ぎ澄まされた鋭いロックサウンドに仕上がりつつあると感じた。
今の日本でこんなにシンプルに「ロック」を感じさせる音を出すバンドがあるということが単純に凄いと思う。
宮本ほどロックに拘り、ロックであり続けようとするロッカーもいないと思う。今回のアルバムで聴けるエレカシの音は、その宮本の思いにメンバーが精一杯応えようとした成果であることは間違いない。
by ko1kubota
| 2004-04-15 18:51
| Music