2009年 11月 29日
三日月バビロン『琥 珀 ノ 宴 』千秋楽 |
遅く目覚めた僕は今日も三日月バビロンの『琥珀ノ宴 』の千秋楽へ向かうべく出かける準備をしながらメールチェックをしようとMacを立ち上げると松岡政長さんから返信メールが届いていた。
そう、昨晩ブログを書き終えた僕は、その勢いで松岡さんが再び三日月の音楽を担当する事を望んでいるという僕の思いをメールで松岡さんに伝えていたのだ。
時間を気にしながらも、大急ぎで手短に返信の返信を書こうと思ったのだが、ついつい時間を忘れてメール書きにのめり込んでしまい、家を出ようと思っていた予定時間を大きく過ぎてしまった。
開演に間に合うかどうか、ギリギリの時間になってしまったと焦る気持ちを抑えようと、目を閉じて昨日劇場で購入した今回の公演の楽曲提供者である早川琴流さんのCDの楽曲をiPodで聴きながらバスに乗っていると誰かが僕の肩を叩いた。
目を開くとそこには松岡さんの笑顔があった。思わず「あーっ!?」と、ヘッドフォンをしていた事もあって、きっと結構な大きさな声を上げてしまった(恥ずかしかったと思います。ご免なさい>松岡さん(^^;))。
でも、たった今メールを返信したばかりのご本人に偶然お会いするとは夢にも思わず、本当に心臓が止まるかと思う位ビックリしてしまった。
松岡さんはご友人と出かける所だという事だった。バスも混んでいたし、余りの驚きによる動転と大きな声を出してしまった恥ずかしさから、簡単な挨拶を交わしただけでそれ以上お話は出来なかったが、お話ししたい事はあったのだけど、それはもうメールで充分伝えたのでその必要はなかっただろう。
実は松岡さんとは結構近くに住んでいるので、今までも何度かご近所で偶然お会いした事はあったし、一度同じ様に偶然同じバスに乗り合わせた事もあった。ただ、この何年かは偶然お会いする事もなく、もしかしたら引っ越しされてしまったのかもしれないと思っていた。
なかなか収まらない胸の動悸を鎮めようと思いながら、その同じバスに乗り合わせた時の事を思い出していた。そう、あの時も僕は同じ様に目を閉じて音楽を聴いていて、松岡さんに同じ様に肩を叩かれたのだ。
そして、今日とは違い空いていたバスの車中で少しお話しし、松岡さんからもう三日月の音楽は担当しないと思うという、残念な言葉を聞かされたのだった。そして、そう言えばあれが松岡さんと偶然お会いした最後であった事も思い出した。
三日月の大ファンでもあり、松岡さんの大ファンでもあった僕は、それは非常に残念だと思ったのだが、それはファンである僕の勝手な思い入れであり、アーティスト同士、意見や方向性が一致しないという事はあるかもしれないし、それならば仕方ない事だと、その時の僕は思ってしまったのだ。
しかし、やはり諦めきれないと松岡さんにメールしたその翌日。その時と同じ路線のバス、同じシチュエーションで数年降りに偶然お会いするなんてそんなまるでドラマみたいなシナリオが現実に起こり得るだろうか?
しかも、その松岡さんご本人から返信メールが届いていなければ、あるいは僕が時間がないから返信は帰って来てからにしようと思って、予定通りの時間に家を出ていたらこのバスには乗っていなかった筈なのだ。
でも、実際に現実にそれは起こったのである。これはもう単なる偶然じゃなくて運命だと思って良いのではないだろうか?
勿論、それは僕と松岡さんの運命なんかじゃない。やはり櫻木バビさんと松岡さんは運命によって導かれて出会うべくして出会ったアーティスト同士であるに違いない。
何があったのかは分からないが、その二人が志半ばにして袂を分かってしまったのを、納得せず反対し、再び二人のコラボレーションを実現させるのが僕に与えられた役割ではなかったのか?
だから、その残念な話を聞かされたその時点に戻り、大人しく納得なんかせず、もう一度やり直して、徹底的に反対し足掻いて抗ってみせろという神の啓示ではないのか?
いや、どこの誰が違うと言っても、もう僕はそうだと確信してしまった。誰が何と言ってもこんな体験をしてしまったら、もうそう信じるしかないだろう。こんな経験をして、それでもそう思えない様な人がいるなら会ってみたいものだ。
そう『琥珀ノ宴』も運命によって出会った人から、強さを貰って運命を変えるという話だ。
例え運命の出会いであっても何もしなければ何も起こらない。偶然を運命に変えるのはやはり人の力なのだ。
僕は人と人との出会いには絶対何らかの意味があるのだと信じている。しかし、その出会いを意味のあるものにするか、しないかはその人次第なのだ。
僕は櫻木バビさんと松岡政長さんというどちらも本当に素晴らしいアーティストの出会いには、絶対大きな意味があるのだと信じる。そして、まだその出会いの意味は結実はしていないと思う。今はその運命の出会いが大きく花開く為の試練の過程にあるのだと思う。
きっと、櫻木さんと松岡さんが一度袂を分かったのは、その試練を乗り越えて再び手を取り合った時に、その試練を経る事なくしては辿り着けない、より高い高みに到達する為に神が仕組んだ采配に違いない。
千秋楽の舞台を観終えて、僕は更にその思いを強くした。これで千秋楽とは本当に名残惜しいこの舞台。でも、この舞台を観るのは決してこれが最後ではない。僕は絶対もう一度この舞台を観る。そしてその時にはこの舞台は松岡さんの楽曲によって彩られ、それによってこの作品は本当に完成するのだとそう確信して劇場を後にした。
そう、昨晩ブログを書き終えた僕は、その勢いで松岡さんが再び三日月の音楽を担当する事を望んでいるという僕の思いをメールで松岡さんに伝えていたのだ。
時間を気にしながらも、大急ぎで手短に返信の返信を書こうと思ったのだが、ついつい時間を忘れてメール書きにのめり込んでしまい、家を出ようと思っていた予定時間を大きく過ぎてしまった。
開演に間に合うかどうか、ギリギリの時間になってしまったと焦る気持ちを抑えようと、目を閉じて昨日劇場で購入した今回の公演の楽曲提供者である早川琴流さんのCDの楽曲をiPodで聴きながらバスに乗っていると誰かが僕の肩を叩いた。
目を開くとそこには松岡さんの笑顔があった。思わず「あーっ!?」と、ヘッドフォンをしていた事もあって、きっと結構な大きさな声を上げてしまった(恥ずかしかったと思います。ご免なさい>松岡さん(^^;))。
でも、たった今メールを返信したばかりのご本人に偶然お会いするとは夢にも思わず、本当に心臓が止まるかと思う位ビックリしてしまった。
松岡さんはご友人と出かける所だという事だった。バスも混んでいたし、余りの驚きによる動転と大きな声を出してしまった恥ずかしさから、簡単な挨拶を交わしただけでそれ以上お話は出来なかったが、お話ししたい事はあったのだけど、それはもうメールで充分伝えたのでその必要はなかっただろう。
実は松岡さんとは結構近くに住んでいるので、今までも何度かご近所で偶然お会いした事はあったし、一度同じ様に偶然同じバスに乗り合わせた事もあった。ただ、この何年かは偶然お会いする事もなく、もしかしたら引っ越しされてしまったのかもしれないと思っていた。
なかなか収まらない胸の動悸を鎮めようと思いながら、その同じバスに乗り合わせた時の事を思い出していた。そう、あの時も僕は同じ様に目を閉じて音楽を聴いていて、松岡さんに同じ様に肩を叩かれたのだ。
そして、今日とは違い空いていたバスの車中で少しお話しし、松岡さんからもう三日月の音楽は担当しないと思うという、残念な言葉を聞かされたのだった。そして、そう言えばあれが松岡さんと偶然お会いした最後であった事も思い出した。
三日月の大ファンでもあり、松岡さんの大ファンでもあった僕は、それは非常に残念だと思ったのだが、それはファンである僕の勝手な思い入れであり、アーティスト同士、意見や方向性が一致しないという事はあるかもしれないし、それならば仕方ない事だと、その時の僕は思ってしまったのだ。
しかし、やはり諦めきれないと松岡さんにメールしたその翌日。その時と同じ路線のバス、同じシチュエーションで数年降りに偶然お会いするなんてそんなまるでドラマみたいなシナリオが現実に起こり得るだろうか?
しかも、その松岡さんご本人から返信メールが届いていなければ、あるいは僕が時間がないから返信は帰って来てからにしようと思って、予定通りの時間に家を出ていたらこのバスには乗っていなかった筈なのだ。
でも、実際に現実にそれは起こったのである。これはもう単なる偶然じゃなくて運命だと思って良いのではないだろうか?
勿論、それは僕と松岡さんの運命なんかじゃない。やはり櫻木バビさんと松岡さんは運命によって導かれて出会うべくして出会ったアーティスト同士であるに違いない。
何があったのかは分からないが、その二人が志半ばにして袂を分かってしまったのを、納得せず反対し、再び二人のコラボレーションを実現させるのが僕に与えられた役割ではなかったのか?
だから、その残念な話を聞かされたその時点に戻り、大人しく納得なんかせず、もう一度やり直して、徹底的に反対し足掻いて抗ってみせろという神の啓示ではないのか?
いや、どこの誰が違うと言っても、もう僕はそうだと確信してしまった。誰が何と言ってもこんな体験をしてしまったら、もうそう信じるしかないだろう。こんな経験をして、それでもそう思えない様な人がいるなら会ってみたいものだ。
そう『琥珀ノ宴』も運命によって出会った人から、強さを貰って運命を変えるという話だ。
例え運命の出会いであっても何もしなければ何も起こらない。偶然を運命に変えるのはやはり人の力なのだ。
僕は人と人との出会いには絶対何らかの意味があるのだと信じている。しかし、その出会いを意味のあるものにするか、しないかはその人次第なのだ。
僕は櫻木バビさんと松岡政長さんというどちらも本当に素晴らしいアーティストの出会いには、絶対大きな意味があるのだと信じる。そして、まだその出会いの意味は結実はしていないと思う。今はその運命の出会いが大きく花開く為の試練の過程にあるのだと思う。
きっと、櫻木さんと松岡さんが一度袂を分かったのは、その試練を乗り越えて再び手を取り合った時に、その試練を経る事なくしては辿り着けない、より高い高みに到達する為に神が仕組んだ采配に違いない。
千秋楽の舞台を観終えて、僕は更にその思いを強くした。これで千秋楽とは本当に名残惜しいこの舞台。でも、この舞台を観るのは決してこれが最後ではない。僕は絶対もう一度この舞台を観る。そしてその時にはこの舞台は松岡さんの楽曲によって彩られ、それによってこの作品は本当に完成するのだとそう確信して劇場を後にした。
by ko1kubota
| 2009-11-29 23:19
| Artist