2012年 07月 27日
三日月バビロン『ヒューリスティック・ポケット ~懐カシイ夜天ノ果テ~』 |
僕の体力的、体調的問題もあって、このblogも、もう1年以上更新が停滞している。
その間、ライブ撮影等は全く行っていない。ライブや観劇には全く行っていない訳ではないが、日常生活だけで手一杯な状況で、観劇等に足を運ぶとその影響がかなり尾を引くので、その事をblogに書く余裕がないまま月日が過ぎて行ってしまう。
三日月バビロンの最新公演『ヒューリスティック・ポケット ~懐カシイ夜天ノ果テ~』からも既に2ヶ月近く経過してしまった。このまま、このblogも凍結状態で放置してしまっても構わないと思い始めていたのだが、三日月バビロンのこの公演の感想だけは簡単でも書き残しておこうと考えを改め、筆を取る事にした。
僕が今回の公演を観終えた時、最初に思ったのが「そうだ。こういう作品が観たかったんだ。」という事だ。
思えば僕は初めて三日月バビロンの前身である三日月少年の『コクーヤ~水時計(クレプシドラ)サナトリウム~』を観てから、常にそれを越える作品を観たいと思い続けて来た。
それは『コクーヤ』が物足りなかったとかそういう事ではない。全くその逆で、僕は今でも『コクーヤ』はどんなに粗探しをしても欠点が見つからない完璧な作品だと思っている。だから、最初にそれを観た時の衝撃というのは相当なものがあった。
この作品を越える事等不可能だ。そう思える程の作品だった事で、逆に僕はそれを越える作品を観てみたいと強く思った。何故なら、この時作・演出の櫻木バビさんは、この作品が4作目であり、未来に大きな可能性を残していると思ったからだ。
そして、櫻木バビさんは僕のその期待に応え続け、次々と素晴らしい作品を観せてくれた。いずれも『コクーヤ』と勝るとも劣らない作品ばかりで、中には観方によっては『コクーヤ』を越えたと思える作品も何作もあった。
それでも、僕はその度にもっとその上を、その上を、と思い続けて来た。それは観れば観る程櫻木さんの作品への期待が大きくなるばかりだったのと同時に、櫻木さんの作品が常に作品の先にもまだ物語が続く事を感じさせるものだったという事も大きかったと思う。
櫻木さんは常に作品の最後に観客に向かってひとつのボールを投げる。それは、「この物語で提示された問題に答えを出すのはあなた。そして、その答えを胸に、この物語の続きを生きて行くのはあなた自身。」そういうメッセージを込めたボールだと僕は思っている。
だから、僕はいつも三日月の公演を観る事によって、自分の人生を振り返り、またこの先の人生をどう生きて行くのか考え直す事になる。それは三日月の公演に足を運ぶ観客のほとんどが同じ様に思っているのではないかと思う。
そして、それとは別に僕は櫻木バビさんご自身のその先も気になってしまうのである。櫻木さんご本人はどの様な答えを出したのか?そしてこの先どう生きて行くのか?そしてそれは次回作にどう反映されるのか?その事が常に僕の関心毎のひとつになっている。
だから、今までの作品を越える作品が観たいと言っても、具体的にイメージしている作品像がある訳ではない。むしろ想像を超える作品が観られる事を期待しているので当然だ。
にも関わらず、今回の作品を観て僕は「この作品が観たかった。」と感じた。その理由を明確に説明するのは難しい。三日月作品を観続けて来た僕が、作品を観る度に出して来た答え。そして僕が生きている現在の世相とそれに対する僕の考え。そういったものがないまぜとなって今回の作品に対する共感となり、その様な思いが沸き上がって来たのだと言えるかも知れない。
そう、この作品は今この時代に作られるべき作品。今この時代に見るべき作品。そういう強い思いが僕の中に沸き上がって来たのだと思う。
そして、この作品は一朝一夕に作れる様なものではない。若くして櫻木さんが到達した『コクーヤ』の完璧な出来は正に天才の為せる業としか言い様がないと思う。しかし、才能だけでは作れない作品というのもある。
若く、理想に燃え、溢れる様な情熱を伴う眩しい才能が放つきらめきは、本当に引き付けられる魅力のあるものだと思う。しかし、その才能だけを頼りにして人生経験を重ねず才能を枯渇させて行くアーティストも少なくない。
一方で、才能に溺れず一歩一歩人間的に成長し、その人間的成長を反映させて、才能だけでは辿り着けない高みに到達するアーティストもいる。櫻木さんは正にそういうアーティストであり、1作毎に人間的にもアーティストとしても成長した事を感じさせる作品を観せ続けてくれたからこそ、僕は長く三日月の作品を観続け、その度に更なる成長を期待し続けて来たのだと言える。
今作を語る上で忘れる事が出来ない作品は『トロイメライ~翼の枷~』だろう。僕はその作品を櫻木さんの大きなターニングポイントだったと思っている。それは作家として、また一人の人間として櫻木さんが越えなければならない命題に真っ向から取り組んだ作品だと思う。そして、その作品以後櫻木さんの作品は高い普遍性を獲得し、作品の幅を大きく広げる事になったと思う。中でも『 琥 珀 ノ 宴 』は『トロイメライ』を越えて来たからこそ辿り着けた傑作だと思う。
そして今作『ヒューリスティック・ポケット』は『トロイメライ』と対を成す作品であると言う事が出来ると思う。極めて良く似た内容を扱いながら、その作品から受ける印象は正反対なものだと言える。これはつまり、『トロイメライ』で櫻木さんが投げかけたボールに対する櫻木さんご自身による返球。つまりアンサーソング的作品だと言えるだろう。
そう考えた時、またひとつ櫻木さんが高い次元へとステップを登ったのだという事が分かる。
『トロイメライ』を思い出す時、僕はどうしても綾瀬 雫さんの事を思い出さずにはいられない。あの作品は綾瀬さんの存在無しには成立しなかったと思う。それ位綾瀬さんの演じた役は重要な役だったと思う。そして綾瀬さんはその難しい役を見事に演じきってみせ、僕は彼女の存在は三日月に欠かせないものになったと感じ、彼女の今後に大いに期待した。
しかし、その後彼女は三日月の舞台に立っていない。僕には事情は分からないが、それは三日月にとって大きな損失でないかと感じていた。
でも、今作では今夢子さんが『トロイメライ』で綾瀬さんが演じたいた役と同じ位重要な役を見事に演じてみせてくれた。『トロイメライ』の綾瀬さん同様、今作は今夢子さんの存在無しには成立しなかったのではないかと思う。
今夢子さんは、これまでも三日月の作品でコミカルな脇役を務めて来ていたし、コミカルな役というのは高い実力がないと演じられないものだと思うから、これまでもその実力の高さは充分理解していたのだが、今作で今までのコミカルな役柄とは一転して正統的なヒロインを堂々と演じる姿には感動させられた。
これで綾瀬さんが抜けた穴は完全に埋まったと言えると思う。気が付けば、今の三日月の役者陣は僕が観て来た12年間の歴史の中で最も充実していると言って良い状態になったのではないかと思う。
20年来の親友同士という役をリアリティたっぷりに演じた梅原真実さんとかやべせいこさんは言うに及ばず、もはや押しも押されぬ三日月の看板女優となった木原春菜さんも含め、全員がこの作品に欠かせない役であり、今夢子さんだけでなく、一人でも欠けていたらこの作品は成立しなかっただろうと思う。
この役者陣がいたからこそ、櫻木さんもこの作品を描き切る事が出来たのだと思う。そういう意味ではこの作品も完璧な作品だと言えると思う。
『コクーヤ』を完璧な作品だと言ったのには、その複雑で緻密な構成に驚かされたという面もある。それに比べると今作は非常にシンプルな作品だと言えるが、その分濃密で奥深い作品でもあり、より役者の力量が必要とされる。それを三日月の役者陣は完璧にこなしていたと思う。作・演出の櫻木さんの力だけでは到達出来ない、役者陣の完璧な演技によって成立した完璧な作品だったと言えるのではないだろうか。
12年前の三日月に今作の脚本を渡しても、当時の役者陣に今回の様に完璧に演じる事が出来たかどうか定かではないと思う。そういう意味で今作は12年(いや旗揚げからはもっと長いのだが)の三日月のひとつの集大成と言っても過言ではないと思う。
また、『トロイメライ』を経て作品世界を大きく広げた櫻木さんの作品歴も『トロイメライ』のアンサーソング的作品の今作で一区切りとなり、ターニングポイントを迎えたという事もあると思う。
今作のチラシの告知によれば、次回公演からは旧作の再演シリーズが始まる様だ。『ヒューリスティック・ポイント』で辿り着いた地平を確認した上で、過去の名作の数々を振り返ってみるのは観客としても非常に楽しみであるし、三日月にとっても意義深い事であろう。
特に過去の脚本を今の櫻木さんが再び演出し、今の三日月の出演陣が演じたらどうなるものか非常に興味深い。
僕は今回作品の内容には一切触れなかったが、僕は今作を観終えた時の「これが観たかった。」という感想以上の感想はもはや必要ないと思った。
だが、最後にひとつだけ書き加えるとしたら、今作は『トロイメライ』へのアンサーソングであるのと同時に、今の時代に日本に生きているアーティストであれば、避けて通る事の出来ないある出来事に対するアンサーでもあると思うという事だ。
僕はアーティストであれば、そうして当然だと思うのだが、同じ様なスタンスで作品に向かうアーティストが意外と少ないとも感じている。僕に言えるのは、櫻木さんの様なスタンスこそ本当のアーティストの姿だと思うという事だ。
優れたアーティストと同時代を生きる事の素晴らしさ、喜びを実感するのはこういう時だ。
そして僕たち観客は各々がそれをしっかりと受け止め、各々が自分自身の答えを出すべきなのだと思う。
La Vita e Bella
その間、ライブ撮影等は全く行っていない。ライブや観劇には全く行っていない訳ではないが、日常生活だけで手一杯な状況で、観劇等に足を運ぶとその影響がかなり尾を引くので、その事をblogに書く余裕がないまま月日が過ぎて行ってしまう。
三日月バビロンの最新公演『ヒューリスティック・ポケット ~懐カシイ夜天ノ果テ~』からも既に2ヶ月近く経過してしまった。このまま、このblogも凍結状態で放置してしまっても構わないと思い始めていたのだが、三日月バビロンのこの公演の感想だけは簡単でも書き残しておこうと考えを改め、筆を取る事にした。
僕が今回の公演を観終えた時、最初に思ったのが「そうだ。こういう作品が観たかったんだ。」という事だ。
思えば僕は初めて三日月バビロンの前身である三日月少年の『コクーヤ~水時計(クレプシドラ)サナトリウム~』を観てから、常にそれを越える作品を観たいと思い続けて来た。
それは『コクーヤ』が物足りなかったとかそういう事ではない。全くその逆で、僕は今でも『コクーヤ』はどんなに粗探しをしても欠点が見つからない完璧な作品だと思っている。だから、最初にそれを観た時の衝撃というのは相当なものがあった。
この作品を越える事等不可能だ。そう思える程の作品だった事で、逆に僕はそれを越える作品を観てみたいと強く思った。何故なら、この時作・演出の櫻木バビさんは、この作品が4作目であり、未来に大きな可能性を残していると思ったからだ。
そして、櫻木バビさんは僕のその期待に応え続け、次々と素晴らしい作品を観せてくれた。いずれも『コクーヤ』と勝るとも劣らない作品ばかりで、中には観方によっては『コクーヤ』を越えたと思える作品も何作もあった。
それでも、僕はその度にもっとその上を、その上を、と思い続けて来た。それは観れば観る程櫻木さんの作品への期待が大きくなるばかりだったのと同時に、櫻木さんの作品が常に作品の先にもまだ物語が続く事を感じさせるものだったという事も大きかったと思う。
櫻木さんは常に作品の最後に観客に向かってひとつのボールを投げる。それは、「この物語で提示された問題に答えを出すのはあなた。そして、その答えを胸に、この物語の続きを生きて行くのはあなた自身。」そういうメッセージを込めたボールだと僕は思っている。
だから、僕はいつも三日月の公演を観る事によって、自分の人生を振り返り、またこの先の人生をどう生きて行くのか考え直す事になる。それは三日月の公演に足を運ぶ観客のほとんどが同じ様に思っているのではないかと思う。
そして、それとは別に僕は櫻木バビさんご自身のその先も気になってしまうのである。櫻木さんご本人はどの様な答えを出したのか?そしてこの先どう生きて行くのか?そしてそれは次回作にどう反映されるのか?その事が常に僕の関心毎のひとつになっている。
だから、今までの作品を越える作品が観たいと言っても、具体的にイメージしている作品像がある訳ではない。むしろ想像を超える作品が観られる事を期待しているので当然だ。
にも関わらず、今回の作品を観て僕は「この作品が観たかった。」と感じた。その理由を明確に説明するのは難しい。三日月作品を観続けて来た僕が、作品を観る度に出して来た答え。そして僕が生きている現在の世相とそれに対する僕の考え。そういったものがないまぜとなって今回の作品に対する共感となり、その様な思いが沸き上がって来たのだと言えるかも知れない。
そう、この作品は今この時代に作られるべき作品。今この時代に見るべき作品。そういう強い思いが僕の中に沸き上がって来たのだと思う。
そして、この作品は一朝一夕に作れる様なものではない。若くして櫻木さんが到達した『コクーヤ』の完璧な出来は正に天才の為せる業としか言い様がないと思う。しかし、才能だけでは作れない作品というのもある。
若く、理想に燃え、溢れる様な情熱を伴う眩しい才能が放つきらめきは、本当に引き付けられる魅力のあるものだと思う。しかし、その才能だけを頼りにして人生経験を重ねず才能を枯渇させて行くアーティストも少なくない。
一方で、才能に溺れず一歩一歩人間的に成長し、その人間的成長を反映させて、才能だけでは辿り着けない高みに到達するアーティストもいる。櫻木さんは正にそういうアーティストであり、1作毎に人間的にもアーティストとしても成長した事を感じさせる作品を観せ続けてくれたからこそ、僕は長く三日月の作品を観続け、その度に更なる成長を期待し続けて来たのだと言える。
今作を語る上で忘れる事が出来ない作品は『トロイメライ~翼の枷~』だろう。僕はその作品を櫻木さんの大きなターニングポイントだったと思っている。それは作家として、また一人の人間として櫻木さんが越えなければならない命題に真っ向から取り組んだ作品だと思う。そして、その作品以後櫻木さんの作品は高い普遍性を獲得し、作品の幅を大きく広げる事になったと思う。中でも『 琥 珀 ノ 宴 』は『トロイメライ』を越えて来たからこそ辿り着けた傑作だと思う。
そして今作『ヒューリスティック・ポケット』は『トロイメライ』と対を成す作品であると言う事が出来ると思う。極めて良く似た内容を扱いながら、その作品から受ける印象は正反対なものだと言える。これはつまり、『トロイメライ』で櫻木さんが投げかけたボールに対する櫻木さんご自身による返球。つまりアンサーソング的作品だと言えるだろう。
そう考えた時、またひとつ櫻木さんが高い次元へとステップを登ったのだという事が分かる。
『トロイメライ』を思い出す時、僕はどうしても綾瀬 雫さんの事を思い出さずにはいられない。あの作品は綾瀬さんの存在無しには成立しなかったと思う。それ位綾瀬さんの演じた役は重要な役だったと思う。そして綾瀬さんはその難しい役を見事に演じきってみせ、僕は彼女の存在は三日月に欠かせないものになったと感じ、彼女の今後に大いに期待した。
しかし、その後彼女は三日月の舞台に立っていない。僕には事情は分からないが、それは三日月にとって大きな損失でないかと感じていた。
でも、今作では今夢子さんが『トロイメライ』で綾瀬さんが演じたいた役と同じ位重要な役を見事に演じてみせてくれた。『トロイメライ』の綾瀬さん同様、今作は今夢子さんの存在無しには成立しなかったのではないかと思う。
今夢子さんは、これまでも三日月の作品でコミカルな脇役を務めて来ていたし、コミカルな役というのは高い実力がないと演じられないものだと思うから、これまでもその実力の高さは充分理解していたのだが、今作で今までのコミカルな役柄とは一転して正統的なヒロインを堂々と演じる姿には感動させられた。
これで綾瀬さんが抜けた穴は完全に埋まったと言えると思う。気が付けば、今の三日月の役者陣は僕が観て来た12年間の歴史の中で最も充実していると言って良い状態になったのではないかと思う。
20年来の親友同士という役をリアリティたっぷりに演じた梅原真実さんとかやべせいこさんは言うに及ばず、もはや押しも押されぬ三日月の看板女優となった木原春菜さんも含め、全員がこの作品に欠かせない役であり、今夢子さんだけでなく、一人でも欠けていたらこの作品は成立しなかっただろうと思う。
この役者陣がいたからこそ、櫻木さんもこの作品を描き切る事が出来たのだと思う。そういう意味ではこの作品も完璧な作品だと言えると思う。
『コクーヤ』を完璧な作品だと言ったのには、その複雑で緻密な構成に驚かされたという面もある。それに比べると今作は非常にシンプルな作品だと言えるが、その分濃密で奥深い作品でもあり、より役者の力量が必要とされる。それを三日月の役者陣は完璧にこなしていたと思う。作・演出の櫻木さんの力だけでは到達出来ない、役者陣の完璧な演技によって成立した完璧な作品だったと言えるのではないだろうか。
12年前の三日月に今作の脚本を渡しても、当時の役者陣に今回の様に完璧に演じる事が出来たかどうか定かではないと思う。そういう意味で今作は12年(いや旗揚げからはもっと長いのだが)の三日月のひとつの集大成と言っても過言ではないと思う。
また、『トロイメライ』を経て作品世界を大きく広げた櫻木さんの作品歴も『トロイメライ』のアンサーソング的作品の今作で一区切りとなり、ターニングポイントを迎えたという事もあると思う。
今作のチラシの告知によれば、次回公演からは旧作の再演シリーズが始まる様だ。『ヒューリスティック・ポイント』で辿り着いた地平を確認した上で、過去の名作の数々を振り返ってみるのは観客としても非常に楽しみであるし、三日月にとっても意義深い事であろう。
特に過去の脚本を今の櫻木さんが再び演出し、今の三日月の出演陣が演じたらどうなるものか非常に興味深い。
僕は今回作品の内容には一切触れなかったが、僕は今作を観終えた時の「これが観たかった。」という感想以上の感想はもはや必要ないと思った。
だが、最後にひとつだけ書き加えるとしたら、今作は『トロイメライ』へのアンサーソングであるのと同時に、今の時代に日本に生きているアーティストであれば、避けて通る事の出来ないある出来事に対するアンサーでもあると思うという事だ。
僕はアーティストであれば、そうして当然だと思うのだが、同じ様なスタンスで作品に向かうアーティストが意外と少ないとも感じている。僕に言えるのは、櫻木さんの様なスタンスこそ本当のアーティストの姿だと思うという事だ。
優れたアーティストと同時代を生きる事の素晴らしさ、喜びを実感するのはこういう時だ。
そして僕たち観客は各々がそれをしっかりと受け止め、各々が自分自身の答えを出すべきなのだと思う。
La Vita e Bella
by ko1kubota
| 2012-07-27 23:55
| Artist