2008年 05月 02日
『光州5.18』 |
試写会で『光州5.18』を観る。
一応興味のある映画ではあった。光州事件のあった1980年当時、僕は高校生だった。一応それなりに大人だった筈だ。しかし、光州事件の報道を目にしたり耳にしたりした記憶が全くない。
ニュースなんか真剣に見る事のない、ノンポリお気楽高校生だったと言えばそれまでだが、同じ1980年の他の主要なニュースは大体記憶に残っている。
おそらく僕は当時光州事件のニュースには接していた筈だ。しかし、その意味が全く理解出来なかったに違いない。だから記憶に残らなかったのだろう。
隣国でこれだけの事件が起きていながら、その事件に対して関心を持つどころか理解すら出来なかった当時の自分が余りにも情けないと感じ、だから実際あの事件がどういうものだったか、映画で確認したいという思いがあったのだ。
だが、ここまで打ちのめされる様な映画だとは思っていなかった。
映画が佳境に入ると、とにかく理屈抜きに涙がボロボロ溢れて来た。最近、寄る年波で涙腺が緩くなったとはいえ、抑えても抑えても涙が溢れて来るシーンの連続だった。
感動したとか、悲しいとか、そういう涙ではない。
映画の多くのシーンは言ってみれば「クサイ」表現が多く、ある意味涙を誘う様なシーンではむしろ泣けなかったというのが本音だ。
僕が涙を流したのは、基本的には人が死んで行くシーンだ。とにかくこれでもかという位多くの人が死んでいく映画なのだが、その死のひとつひとつが本当に真に迫っていて、非常に重みを伴って描かれていて最後まで慣れてしまうという事がなかった。
おそらく人の死を、それも理不尽でむごたらしい死を目の当たりにしたら、人はこういう涙を流すのだろう。
悲しみでもない、怒りでもない、何と言っていいのか言葉にする事ができない感情。いや、感情さえ感じている余裕もなく、ただ理由もなく涙が溢れて来る。
そんな今まで流した経験のない種類の涙だった。
人が人を殺すという事がどういう事なのかという事を、ここまで徹底して突き詰めて描いた映画を僕は知らない。
しかも、誰一人として本当に相手を殺したいと思ってはいなかっただろう。
映画は市民側の登場人物の心理は細やかに描写していたが、戒厳軍側の兵士達の心理はさほど描いていなかったが、多くの兵士はただ命令に従っただけで、市民に対して銃口を向けたいと思っていた兵士はいなかったに違いないと思うし、殺さなけば自分が殺されるという恐怖に捕われていたのは市民達と同じだったに違いないと思う。
兵士側にも市民側にも相手を殺さなければならなかった理由など何一つない。
それなのに、こんな事件が起きてしまった。これは悲劇としか言いようがないと思う。
映画の中でも死に急ぐ学生に「お前は生き残って、後世にこの事件の事を伝えるんだ」と諭すシーンがあるが、これまでも「戦争を二度と起こさない様に、その悲劇を後世に伝えなければならない」というコンセプトで作られた戦争映画を何作も観て来た。
それらの映画は、それぞれそれなりに良い映画だったり、重要なメッセージ性を備えていると感じさせるものではあったが、この『光州5.18』ほど切実な印象を受ける映画はなかった。
これは、やはり韓国という国の土壌がそうさせたのだと思う。確かに韓国は民主化、近代化され、韓流ブームと共に日本との交流も深まり、文化的にも開放された国になったという印象が強い。
しかし、今でも南北に分断された分断国家であり、休戦中というだけで、厳密には戦時下にある国と言える。いつまた悲劇が繰り返される事になるか分らないという思いは、日本に比べれば遥かに現実的で切実なものに違いない。
映画でも前半、光州市民の平和な日常が描かれている。まだ民主化前だとはいえ、それは60年代〜70年代の日本とあまり変わらないという印象の穏やかで平和な日常風景だった。
そして、戒厳軍と学生デモの衝突があり、義憤に駆られた市民が参加してデモが拡大してからも、市民の間にはお祭り騒ぎに参加している様な気楽さも垣間見え、軍人に対しても「同じ人間じゃないか」、軍に対しても「他国の軍でもあるまいし、自国の軍じゃないか」という気安さがあるように感じられた。
確かに、既に学生が軍人に殴り殺されるという事件が起きており、それに対する市民の怒りがデモを拡大させていたとはいえ、最初の発砲があるまで、まさか自国の軍人が、自国民に対して発砲するなど、誰一人として想像していなかったに違いない。
しかし、事態は市民が武器を手にして、軍と銃撃戦を展開する所まで悪化して行った。
韓国の人たちは、現在でもどこかでひとつボタンをかけ間違えたら、またそういう事件が起こったとしても不思議ではないという思いを心のどこかに捨て切れずに抱えているのではないだろうか?
その事を日本人は忘れてはいけないのではないかと思う。韓国という国をそういう状況に追い込んだ事に関して、日本は決して無関係ではないのだから。
一応興味のある映画ではあった。光州事件のあった1980年当時、僕は高校生だった。一応それなりに大人だった筈だ。しかし、光州事件の報道を目にしたり耳にしたりした記憶が全くない。
ニュースなんか真剣に見る事のない、ノンポリお気楽高校生だったと言えばそれまでだが、同じ1980年の他の主要なニュースは大体記憶に残っている。
おそらく僕は当時光州事件のニュースには接していた筈だ。しかし、その意味が全く理解出来なかったに違いない。だから記憶に残らなかったのだろう。
隣国でこれだけの事件が起きていながら、その事件に対して関心を持つどころか理解すら出来なかった当時の自分が余りにも情けないと感じ、だから実際あの事件がどういうものだったか、映画で確認したいという思いがあったのだ。
だが、ここまで打ちのめされる様な映画だとは思っていなかった。
映画が佳境に入ると、とにかく理屈抜きに涙がボロボロ溢れて来た。最近、寄る年波で涙腺が緩くなったとはいえ、抑えても抑えても涙が溢れて来るシーンの連続だった。
感動したとか、悲しいとか、そういう涙ではない。
映画の多くのシーンは言ってみれば「クサイ」表現が多く、ある意味涙を誘う様なシーンではむしろ泣けなかったというのが本音だ。
僕が涙を流したのは、基本的には人が死んで行くシーンだ。とにかくこれでもかという位多くの人が死んでいく映画なのだが、その死のひとつひとつが本当に真に迫っていて、非常に重みを伴って描かれていて最後まで慣れてしまうという事がなかった。
おそらく人の死を、それも理不尽でむごたらしい死を目の当たりにしたら、人はこういう涙を流すのだろう。
悲しみでもない、怒りでもない、何と言っていいのか言葉にする事ができない感情。いや、感情さえ感じている余裕もなく、ただ理由もなく涙が溢れて来る。
そんな今まで流した経験のない種類の涙だった。
人が人を殺すという事がどういう事なのかという事を、ここまで徹底して突き詰めて描いた映画を僕は知らない。
しかも、誰一人として本当に相手を殺したいと思ってはいなかっただろう。
映画は市民側の登場人物の心理は細やかに描写していたが、戒厳軍側の兵士達の心理はさほど描いていなかったが、多くの兵士はただ命令に従っただけで、市民に対して銃口を向けたいと思っていた兵士はいなかったに違いないと思うし、殺さなけば自分が殺されるという恐怖に捕われていたのは市民達と同じだったに違いないと思う。
兵士側にも市民側にも相手を殺さなければならなかった理由など何一つない。
それなのに、こんな事件が起きてしまった。これは悲劇としか言いようがないと思う。
映画の中でも死に急ぐ学生に「お前は生き残って、後世にこの事件の事を伝えるんだ」と諭すシーンがあるが、これまでも「戦争を二度と起こさない様に、その悲劇を後世に伝えなければならない」というコンセプトで作られた戦争映画を何作も観て来た。
それらの映画は、それぞれそれなりに良い映画だったり、重要なメッセージ性を備えていると感じさせるものではあったが、この『光州5.18』ほど切実な印象を受ける映画はなかった。
これは、やはり韓国という国の土壌がそうさせたのだと思う。確かに韓国は民主化、近代化され、韓流ブームと共に日本との交流も深まり、文化的にも開放された国になったという印象が強い。
しかし、今でも南北に分断された分断国家であり、休戦中というだけで、厳密には戦時下にある国と言える。いつまた悲劇が繰り返される事になるか分らないという思いは、日本に比べれば遥かに現実的で切実なものに違いない。
映画でも前半、光州市民の平和な日常が描かれている。まだ民主化前だとはいえ、それは60年代〜70年代の日本とあまり変わらないという印象の穏やかで平和な日常風景だった。
そして、戒厳軍と学生デモの衝突があり、義憤に駆られた市民が参加してデモが拡大してからも、市民の間にはお祭り騒ぎに参加している様な気楽さも垣間見え、軍人に対しても「同じ人間じゃないか」、軍に対しても「他国の軍でもあるまいし、自国の軍じゃないか」という気安さがあるように感じられた。
確かに、既に学生が軍人に殴り殺されるという事件が起きており、それに対する市民の怒りがデモを拡大させていたとはいえ、最初の発砲があるまで、まさか自国の軍人が、自国民に対して発砲するなど、誰一人として想像していなかったに違いない。
しかし、事態は市民が武器を手にして、軍と銃撃戦を展開する所まで悪化して行った。
韓国の人たちは、現在でもどこかでひとつボタンをかけ間違えたら、またそういう事件が起こったとしても不思議ではないという思いを心のどこかに捨て切れずに抱えているのではないだろうか?
その事を日本人は忘れてはいけないのではないかと思う。韓国という国をそういう状況に追い込んだ事に関して、日本は決して無関係ではないのだから。
by ko1kubota
| 2008-05-02 23:32
| Movie