折に触れ、高校時代に亡くなった友人Tの事を良く思い出す。
特別に親しかったという程ではない。同級生だった事は一度もなく、正確には友人の同級生というやや微妙な距離のある関係だった。
その共通の友人というのは、小学校の同級生だった友人M。Mは僕にROCKを教えてくれた友人で、僕に取っては特別な存在だった。
Mは映画『エクソシスト』を観た帰りに気に入ったその映画のテーマ曲のシングルを買ってもらった。
しかし、それを聴いた彼はそのシングル盤の演奏が映画のサウンドトラックで流れたものとは別物である事に直ぐに気付き、映画で使用された楽曲のオリジナルは実は作者に無断で使用されたマイク・オールドフィールドの『チューベラーベルズ』だった事を調べ上げて、先ずはレコード会社が『エクソシスト』のヒットに当て込んで発売したシングルを手に入れるが、その楽曲の素晴らしさに改めて感動すると共に、それが完全な形でのシングルカットではなく、実際には長い曲の一部分を勝手にぶった切ったものである事を知り憤慨し、今度はオリジナルのアルバム『チューブラーベルズ』を手に入れるだけでは飽き足らず、当時発売されていたマイクの全てのアルバム(と言ってもまだ3枚しかなかったが)を手に入れ、それをクラス替えでクラスメイトになったばかりで、たまたま彼の家に初めて遊びに来たロックのロの字も知らないばかりか、特に音楽好きという訳ですらなかった僕に有無を言わせず聴かせると共に、その『チューブラーベルズ』という楽曲が辿った数奇な運命を語り、マイク・オールドフィールドがいかに天才かという事を延々と熱弁したのである。
そんな小学生がいるなんて想像出来るだろうか?しかし、彼は実在し、三角ベースボールとプロレスごっこに夢中な普通の小学生だった僕に強烈なインパクトを残した。
僕は彼の影響を受けてロックに目覚め、彼の家に入り浸る様になり、彼と共にロックにのめり込んで行った。彼の家はお金持ちで、彼は次々とロックのアルバムを手に入れ、それはプログレッシブロックからハードロックへと発展して行く。学校から帰るや否や部屋に閉じこもってプログレやハードッロックを聴き浸る小学生二人組。今思うと異常な光景だが、彼の存在と彼と過ごしたこの時間が今の僕を形成するのに大きく影響しているのは間違いない。
中学進学を理由に、やっとそれぞれの親を説得してエレキギターを手に入れた彼と僕は、中学ではクラスは別になったが、相変わらず僕は彼の家に入り浸り、共にロックを聴き、ギターを練習して、誰よりも多くの時間を彼と過ごしていた。
ギターの練習を始めて、改めて自分の音感の悪さ、リズム感の悪さ、更には手先の不器用さを痛感し、いくら練習をしても一向に上達せずに大きな挫折を味わった僕を尻目に、Mはメキメキと上達し、全くの独学で簡単にロックの名曲の数々を耳コピでマスターし、直ぐにプロはだしのアドリズさえこなす様になり、オリジナル曲を作曲する様になって行く。
僕に取ってMは単なる友人を越えて、憧れの存在になって行く。僕は彼の様になりたいと願い、それが現実には無理な事だと思い知らされ、いつしか彼は崇拝の対象に近くなっていった。
僕はそんな事はおくびにも出さず、友人として彼のそばにいつもいて、彼が自分の同級生と遊びに行く時にも当然の様に付いて行った。そのMの同級生の一人がTだった。
知り合った当時、彼の同級生のひとりが「こいつは心臓が悪いんだ」と教えてくれた。僕は嘘だと思ったが、Tがそれを否定も肯定もしなかったので、心臓を患った事は事実でも今はすっかり治っているのだろうと思った。
何故なら、田舎の中学生が遊びに行くのには自転車が必須で、しかも、1分でも速く目的地に着いて1分でも長く遊びたい彼らは、全力でチャリンコを飛ばす。その中にいつもTもいて、彼の同級生も誰一人として彼を特別扱いせず、実際何事もなく一緒に走って来ていたからだ。
確かに、やや背も小さく痩せて華奢な印象だったが、全く健康で元気な中学生にしか見えず、とても心臓が悪い様には思えなかったのだ。そして僕はその事はすっかり忘れてしまった。
Mと一緒に遊ぶ同級生はやはりロック好きばかりで、遊びに行く先はレコード店やフィルムコンサートが主だった。
Tはクリアーな音質のロックを好み、特にクィーンとボストンがお気に入りだった。一度だけ、Mと遊びに行ったTの家で、僕はクィーンの『オペラ座の夜』を始めて聴かせてもらったのを覚えている。今、エレキギターを自作しているんだと言って、作りかけのギターも見せてくれた。
僕は『オペラ座の夜』を聴いて、変わった曲を演るバンドだなあと思い、これはロックと言えるんだろうか?と疑問を持った。
それをTの前では言えなかった僕は、後でその感想をMに告げると、彼は僕にこれを聴いてみろとばかりにファースト収録の『ライアー』を聴かせ、僕はその曲に一撃でノックアウトされ、クィーンは僕が最も好きな特別なロックバンドになった。
Mはまるで千里眼の様に僕の好みを見透かし、僕がクィーンの楽曲の中でも最も忘れ難い特別な曲を一曲必中で聴かせてくれた事にも驚かされたが、そのクィーンを最初に僕に聴かせたのはMではなく、Tだった事は、Tに関する特別な思い出として残っている。
中学を卒業すると、Mは僕とは別の高校に進学する事になり、どんな事情があったのか聞けなかったが、実家を出て祖父母の家から高校に通う様になったので、家に遊びに行く事も出来なくなり、彼と過ごす時間は大幅に少なくなった。
それでも、僕はバンド活動を始めたMのバンドのライブを観に行ったり、彼がバンド仲間と入り浸っていたジャズ喫茶に時折足を運んでその中に割り込んだりして、細々と付き合いは続いていたが、アマチュアとはいえバンドのメンバーとしてステージ立つ彼と、それを観客席から観る事しか出来ない自分との間には大きな隔たりがある事を感じ、彼が徐々に手の届かない遠い存在になって行くと感じていた。
一方、Tは僕と同じ高校に進学したが、またもクラスは別だった。彼との間にMが存在しなくなり、一緒に遊ぶという事は無くなったが、僕は時々休み時間に彼のクラスに行って、彼とロック談義に花を咲かせた。
それは、小学生から中学生にかけて、常に共にどっぷりとロックに浸かっていたMと過ごす時間が無くなった為に、Tがロックを語り合う事が出来る数少ない貴重な存在となったからだ。
だが、TがMの代わりになる筈もなく、Tと語るロックの話題はMとのそれの様に濃密なものにはならなかった。むしろ、Tと僕の関係はMという共通の友人が介在しなくなった事で、徐々に遠のいて行った。
そして、その日は高校2年の新学期に突然やって来た。中学でも高校でもTと同級生ではなかった僕がそれをどうやって知らされたのか、はっきりとは覚えていない。多分、春休みの間に溜まったロックの話題を消化する為に、Tのクラスを訪れ、彼のクラスメイトから聞かされたのだと思う。
春休みの間に彼の病状が悪化して入院し、春休みの終わりに亡くなったのだと・・・
それを知らされた僕が何を感じ、どうしたのか全く覚えていない。誰にお葬式の事を教えてもらったのかも覚えていないが、とにかくお葬式に参列した事だけは覚えている。
しかし、僕は全く彼の死を受け止める事が出来ず、夢の中にいる様にどうしても現実感を感じる事が出来ないまま、ただその場所にいただけだった。もし、入院したのが春休みでなかったら、僕は彼が入院した事を知る事が出来たかもしれないし、お見舞いに行く事も出来たかもしれない。
それが出来ていたら、僕は彼の死を実感し受け止める事が出来たのかどうか、それは実際には起こらなかった事なのではっきりとは分からない。でも、少しは違っていた筈だとは思う。
あるいは、彼が春休みの終わりまで持ちこたえてくれたお陰で、お葬式には参列出来た事だけでも感謝しなければいけないのかもしれない。それすらも出来なかったとしたら、僕の心のしこりはもっと大きなものになっていただろう。
僕はお葬式で、彼の高校の同級生の輪にも、中学時代の同級生の輪にも入れず、どこに身を置いていいのか戸惑いながら疎外感を感じていた。
特に中学時代の同級生達は皆大きく悲嘆し、女子生徒達は泣きじゃくり、男子生徒達もやりきれない様子で女子生徒達を励まそうとしていた。
僕は遠巻きにその様子を眺め、どうして彼らはTの死を実感し、受け止める事が出来るんだろうと不思議に思っていた。どうして自分にはそれが出来ないのだろうと自問自答していた。
今思えば、僕は頼み込んででも、彼の遺体に対面させて貰うべきだったのだと思う。しかし、僕はそんな事も思い付かないままただ呆然としていただけだった。
お葬式にはMも参列していた。僕が唯一Tの死を分かち合える相手はMだけだったかもしれない。しかし、僕はMに声をかける事も出来なかった。Mはお葬式に参列した学生の中でただ一人私服だった。Mの通っている高校には制服がなかった。それは、彼がTのお葬式に参列する為にでも、中学時代の制服を実家に取りに戻る事をしなかった事を意味していた。もし、彼の制服が処分されていたとしても、彼には二人弟がいたので弟の制服を借りる事は出来た筈だ。だが、彼はその為に実家には戻らず、私服でお葬式に参列する事を選んだのだ。
そんな彼に僕は何と話しかけていいのか分からなかった。
Mは中学時代の同級生達の輪に中には溶け込まず、やや距離を置いて所在なげに立ち尽くしていた。Mは中学時代に母親を亡くしていた。その時のMの姿は母親のお葬式の時の憔悴しきった姿と重なって見えた。僕は彼の母親のお葬式の時にも彼に声をかける事が出来ず、同じ様にその時も出来なかった。
Mは僕に取ってスーパーヒーローの様な存在だった。僕はその特別な存在だった彼の弱い部分に触れるのが怖かったのだと思う。僕に取ってMは特別な存在だったが、結局僕はMの特別な友人にはなれなかった。もしそうだったら僕はその時彼に声をかける事が出来た筈だ。
あるいは、その時声をかける事が出来ていたら、僕とMの関係はまた違ったものになっていたのかもしれない。
そして、あるいはMとTとの思い出を分かち合う事で、Tの死を実感しそれを受け止める事も出来たのかもしれない。
でも、どちらも出来なかった。
僕はTの病気の事を信じなかったし、彼が生きている間に一度も彼の病気に関して祈る事もしなかった。病魔と闘う彼に励ましの言葉をかける事も出来なかった。
僕が本気にしなかった事が実は真実だったと知ったのは、全てが終わった後だった。
そのやり切れなさが、今でも僕の心の中に重いしこりとして残っている。そして、今でもTの死を受け止める事が出来ず、納得出来ないままだ。
だから僕はTの事を忘れる事が出来ない。言ってしまえば、友人の同級生というあまり深くない関係の友人だった彼の死でさえ、こんなにも重いのだ。
もし、彼に死が訪れるのが、後数年遅かったら、僕はその死を知る事させ出来ず、彼は高校を卒業してから会っていないし、生きているのか死んでいるのか消息も分からないという多くの付き合いの浅い元友人の一人に過ぎなくなっていた筈だ。
実際、中学時代のT以外のMの同級生の名前を僕はもう一人も覚えていない。同じ高校に進んでいなかったら、Tの名前も、他の彼らと同じ様にもう忘れてしまっていた事だろう。
それなのに、中学高校を通じての友人で、最も良く思い出すのがTなのだ。高校を卒業して田舎を出て来てから、Mとも一度も会っていない。Mの事も、今どうしているだろうかとよく思い出すし、会いたいと思うが、それ以上の頻度でTは僕の脳裏に登場する。
やりきれないのは、彼が今この世界にいない事じゃなくて、彼がいないこの世界に僕が生きている事だ。
同じ時代に生きた同じ歳で同じ様にロックが好きだった彼と僕。神の視点で見たらほとんど同じ存在で見分けも付かないだろう二人。その二人の運命を分けたものが何なのかが分からないからだ。
僕は彼が怒った所を見た事がないし、誰かの悪口も、愚痴や泣き言等ネガティブな言葉を聞いた事もない。それは彼が死んでから美化しているのではなくて、本当に生きている頃からこんなに人の良い奴は珍しいと思っていたのだ。ただ、彼は特に際立った善人だという印象もなく、単に良い方にも悪い方にも突出しない、控えめで目立たない存在であり、その事をそんなに特別な事だとは思っていなかった。世の中にはそんな奴もいるんだと軽く考えていたのだ。
しかし、彼の病気が真実だったと分かった後では、彼のその清らかさを特別な事だと思わざるを得ないし、それを特別な事だと感じていなかった自分の思慮の足りなさを責めざるを得ない。
しかも僕は病気の事を聞かされていなかった訳ではない。知っていながら、単に元気に見えるというだけで本気にせずに軽く考えていたのだ。
彼が言葉にしなかったとしても、彼は心の中では葛藤し戦っていた筈だ。僕とロック談義をしている時でも、「僕はもしかしたらこのバンドの次の新曲を聴く事が出来ないかもしれない。でも、君は聴く事が出来る。」と思っていたのかもしれない。でも、一度として彼はそんな事は口にしなかった。
今この世界に生きているべきは、僕ではなく、彼だったのではないかと思う。彼はセカンドアルバムから8年も経ってリリースされたボストンのサードアルバムを聴く事も出来なかったし、クィーンが北米、南米でもビッグヒットを出し、名実共に世界のチャンピオンになった事も、フレディがエイズで亡くなった事も知る事が出来なかった。
フレディがエイズと闘いながら、レコーディングした壮絶な曲『The Show Must Go On』。それを聴くのにふさわしいのは、僕ではなく彼の方だったのではないか?
せめて彼に『The Show Must Go On』を聴かせてあげたかったと思う。そして感想を聞きたかった。その事が彼の救いになったとは思わないが、むしろ苦しい思いをしたかもしれないが、それでもその曲を歌ったフレディの思いは僕よりは彼の方が理解出来た筈だ。
どうして僕がそれを聴く事が出来て、彼にはそれが出来なかったのだろう。
それを決めたのはいったい誰なんだ?
そんな思いが僕につきまとう。
どちらかと言うと付き合いの浅かった友人の死でさえ、こんなにも重いのだから、それが自分に取って特別な存在の死だったら、どんなに辛く苦しいものかと思う。ましてやその死の理由が理不尽なものだったら?想像する事さえ恐ろしい。
おそらくは正気を保つ事が出来たら奇跡としか言いようがない様な、生き地獄が待っているに違いないと思う。
自分の身に起こった事ではない事を、もうこれ以上語る事はよそう。おそらく僕にはその資格はない。
自分の体験に話を戻せば、今では僕はTは僕と共にいて、僕がロックを聴き続ける限り、彼も僕と共にロックを聴き続けられるのだと思える様になった。いつかあちら側のどこかで彼と再会した時に、またロック談義に花を咲かす事が出来る様、生き続ける限り沢山ロックを聴いて、音楽以外のジャンルの作品も沢山観て、その素晴らしさを彼に話してあげようと思う。
その時彼はこう言うだろう、「知ってるよ。だって、いつも君と一緒に観てたもん。」
その言葉を聞く為に僕は生きて行く訳ではないが、その言葉が聞ける事も楽しみにこの人生を生きて行こうと思う。
僕が生きていく事が、そして生きて行く以上、その人生を出来るだけ豊かなものにする事が、僕に出来る唯一の供養なのだと思う。少なくとも彼に「僕のせいで君に辛い思いをさせてしまったね」とは言わせない様に。