*文字数制限を越えてしまった為
前編からの続きです。
そして三日月と松岡さんのコラボレーションは実現し、松岡さんは何作か三日月の舞台音楽を担当する事になるが、忘れられないのはEUROさんと共同で音楽を担当し、日名子さんも出演された「福神町綺譚 『ヒライハ・アルビレオ』」だ。
『福神町奇譚』の初日、会場近くまで行くとちょうど会場から外に出て来ていた松岡さんとお会いし、一緒に劇場に戻り並んで席について初日公演を観させて貰う事になった。大分の劇団で演劇活動もしているという日名子さんが、ナイチンゲール役を演じ、松岡さん作曲とEUROさん作曲のそれぞれ個性の違う曲を見事に歌い分けていた。
日名子さんのナイチンゲールは舞台に登場するだけで、その場を空気を変えてしまう様な圧倒的な存在感を放っており、日名子さんが役者としても高い実力を備えた人であり、シンガーとしての表現力の高さも役者としての活動で培われたものが大きく反映されているのだと納得した。
松岡さんとEUROさんという個性の違うミュージシャンのコラボレーションが非常に効果的で印象的な素晴らしい公演だったが、終了後松岡さんはやや曇った顔で「気付きました?」と聞いて来た。どうやら何か音源にトラブルがあったらしく、「全く分からなかった」と答えると少し安堵した様子だったが、直ぐに日名子さんが飛んで来て、その場でトラブルの原因究明と対策の打ち合わせが始まった。
トラブルがあったというのに非常に不謹慎なのだが、この時の真剣だが、とても充実して楽しそうにさえ見えたお二人の表情が凄く印象的で、その姿を間近で見られた事がとても嬉しかった。
同時にそのアーティスト同士のお二人の間には入って行けない疎外感も感じたのだが、それぞれ自分がリスペクトしているアーティストのお二人がコラボレーションし、僕の様な部外者には普段は見られないアーティストの顔で打ち合わせする姿を間近で見られたというのは至福のひと時だった。
また、翌日の公演では会場前で友人を待たれているというEUROさんとお会いし、開場まで少しお話ししたのだが、「松岡さんは天才だ」としきりに褒めていたのが印象に残っている。そして「実は松岡さんとバンドをやりたいと思っているんだ。」と聞かされてあまりにお二人の音楽性が異なるので驚いて、「どんなバンドなんですか?」と尋ねると「松岡さん中心のバンドだよ。」と仰るので、どんなバンドか想像出来ないけど、実現したらきっと凄いバンドになるんだろうなとワクワクしたのを憶えている。
そして、そのバンドが本当に実現したのが、前述したfunction code();だ。松岡さんは楽曲提供だけでなくキーボードとして参加し、当初プロデュースのみだったEUROさんもその後メンバーとなり、名実共に一緒にバンドをやる事になった。
function code();の初ライブの撮影をEUROさんに頼まれた時は、EUROさんは松岡さんも参加されている事は一言も言っていなかったので、会場に行ってメンバーの中に松岡さんの姿を見つけた時は本当に驚いたし、あの『福神町奇譚』の時にEUROさんから聞かされたバンドが実現した事を知って感動し、またそのバンドのファーストライブを撮影させてもらえた事に本当に感激した。
そして、松岡さん作曲の『THE OCEAN OF EMPTINESS』に僕は打ちのめされた。僕は音楽はジャンルに拘らず何でも好きでクラシックや、トラッドミュージックも大好きなので、クラシック的でもあり、トラッド的な要素もある松岡さんの音楽性は本当にたまらなく好きで、インスト系の日本の作曲家の中では1番好きな作曲家だと思っているのだが、やはり音楽のジャンルの中でもロックには特別な思いがあるのだが、その松岡さんが手がけたロックナンバーというのは、もう筆舌に尽くし難いものがあり、日本のロックナンバーとしては『THE OCEAN OF EMPTINESS』は最高の1曲だと思う。
いや、それだけでなく、この曲はロック史上に残る名曲レッド・ツェッペリンの『天国への階段』に匹敵するか、あるいはそれをも越える名曲ではないかとすら思う。
そして、その『THE OCEAN OF EMPTINESS』収録の『THE OCEAN OF EMPTINESS ep』のジャケット写真を撮らせて貰えた事は本当に忘れる事の出来ない最高の出来事だった。本当にその機会を与えてくれたEUROさんには心から感謝している。
三日月少年も日名子さんもEUROさんも松岡さんも、それぞれ個別に撮影させて頂く機会を得る事が出来たアーティストだが、その全てのアーティストが揃ってコラボレーションし、EUROさんと松岡さんのfunction code();、松岡さんと日名子さんの
HINAKO-ARTという二つのコラボレーション活動のきっかけとなった舞台「福神町綺譚 『ヒライハ・アルビレオ』」はまるで奇跡の様な公演だったと思う。そしてそのコラボレーションは今も継続している。それはとても素晴らしい事だと思う。
更に付け加えれば、僕は『
福神町奇譚』の原作者
藤原カムイさんのアシスタントをしていた時期があり、実はストロオズと出会ったのも三日月と出会ったのもカムイさんを通してだった。
カムイさんのアシスタントをしていなければストロオズにも三日月にも出会う事はなく、ライブ撮影もしていなかっただろう。そのカムイさんの原作の舞台化でカムイさん自身も出演されたその舞台でその奇跡が起こった事も僕にとっては特別な事に感じる。
しかし、残念な事に僕はその舞台を撮影する事は出来なかった。これは僕のライブ撮影人生において最大の痛恨の出来事だと言って良いだろう。だが、この舞台を撮影していたら、僕はそれを自分のライブ撮影人生の最高の瞬間であり、ピークであると感じただろう。そしてピークを迎えたら後は下り坂が待っているだけである。あの時そのピークを迎えたと感じていたら、僕はもうライブ撮影を辞めていたかもしれない。
僕はそのピークの瞬間を逃し、そしてこの先あの奇跡に匹敵する瞬間というのは起こり得ないと思う。つまり僕は決して自分自身でピークと感じる瞬間を迎える事はなく、一生手の届かなかったピークを追い求めて撮り続けるのだと思う。それも宿命なのかもしれない。
『福神町奇譚』の千秋楽の夜、僕は松岡さんにお礼のメールを書き、その日の内に帰って来た返信によって翌日に松岡さんとアコーディオン奏者の若林充さんが企画したコンサートがあり、急遽日名子さんのゲスト出演が決まった事を知り、慌てて撮影を申し込んだ。
そのコンサートで日名子さんはナイチンゲール役の衣装こそ着ていなかったが、それでも松岡さん作曲の『福神町奇譚』の劇中歌を歌い、それを撮影出来たのは僕にとってせめてもの慰みになった。
思えばこれが松岡さんと日名子さんのコラボレーションの始まりであり、HINAKO-ARTの序章とも言えるライブだったと思う。僕はその瞬間に立ち会えただけでなく、その後日名子さんのライブでゲストとして行ったHINAKO-ARTのライブを撮影する事も出来たし、また、松岡さんプロデュースによる日名子さんのファーストアルバム『FACE』のジャケット写真を担当させて頂く事も出来た。
長年日名子さんをサポートして来たギタリストのHirotaさん宅で行われたアルバムの完成パーティにも招いて頂き、とても幸せなひとときを過ごさせて頂いた。
考えてみれば、僕は『福神町奇譚』をきっかけに始まった二組のコラボレーションの最初のCDのジャケット写真を両方担当させて頂いた事になる。『THE OCEAN OF EMPTINESS ep』同様『FACE』も僕の大切な宝物だ。
そして、そのコンサートは、また新しい出会いの場でもあった。若林さんを始め、この日の出演者だった同じくアコーディオン奏者の
藤野由佳さん、チェロ、篠笛、アイリッシュフルート奏者の星衛さんはその後何度も撮影させて頂く事になり、更にそれを通して多くのアーティストの方々との出会いを得る事が出来た。
三日月との繋がりで撮影の機会を得た映画監督の山田勇男監督、山田監督の音楽を担当してたシンガーのやぎさん、山田監督の弟子筋に当たる映像童話作家の
高遠瑛さん、山田監督の作品に出演経験のあるギタリストの
吉本裕美子さん、吉本さんの所属していたバンドChrome Green、吉本さんがダンサー秦真紀子さん、写真家首藤幹夫さんと組んだパフォーマンスユニット
Aryukue、三日月への客演作が多く、舞台写真家でもある役者榎本 淳さん、梅原さんの旧知の仲でライブに誘われて撮影させて頂いたアコーディオン奏者の
田ノ岡三郎さん、その田ノ岡さんのライブにゲスト出演されていた龍降器奏楽団、
Banjo Clubの原さとしさん、Banjo Clubのメンバーでイベントclub BOCA撮影の機会を作ってくれたマンドリン奏者の
安部恭治さん、club BOCA主宰の榊原純一さん、club BOCA出演者だった音楽家
江村桂吾さん、役者
山田宏平さん、シンガーの
eiko yamaguchiさん、ピアニスト
江草啓太さん、フルーティスト
吉田一夫さん、役者
金崎敬江さん、ダンサー
佐藤美紀さん、舞踏家白井剛さん、ダンサー
荒枝志津さん、ダンサー
原キョウコさん、パフォーマー池野一広さん、DJ、音響家の斉見浩平さん、榊原さんが出演されていた
ポタライブ主宰の劇作家
岸井大輔さん、日名子さんのサポートをされているギタリストのHirotaさん、日名子さんのシンガー仲間でR&Bシンガーの
櫻倉レオンさん、同じくシンガーソングライターの
Hilloneさん、藤野さんとアイリッシュデュオ
Rivendellで活動するアイリッシュハープ奏者の木村林太郎さん、藤野さん参加の
オオフジツボのヴァイオリン奏者
壷井影久さん、ギタリスト
太田光宏さん、藤野さんとアコーディオンデュオ
蛇腹姉妹を組まれている佐々木絵実さん、Rivendellのライブでゲスト出演されたテルミン奏者の
トリ音さん、トリ音さんとユニットこころにやさしいうたのよるで活動されていた声楽家
さかいれいしうさん、同じくピアニスト、映像作家の
ちゃーりーさん、星さんとユニット
めがねーずで活動されているギタリストの前田洋介さん、星さんと若林さんがサポートされていたシンガーソングライターの
るりさん、同じく星さんがサポートされていたロックシンガーの
角辻順子さん。
これだけのアーティストの方々が、その出会いを辿って行くと全て三日月が起点になっている。三日月を起点とした出会いの連鎖以外で撮影させて頂いたアーティストはストロオズの友人Aさんを通じて知り合ったロックバンド
MUTE、MUTEのタイバンをきっかけに撮影させて頂いたKONG、仕事関係で知り合ったフォークロックシンガー
松尾一志さん等、余り数は多くない。
いかに三日月との出会いが自分にとって大きな出会いだったかが分かるし、その出会いを大事にして来たからこそ、次の出会いに繋がり、こんなに多くのアーティストの方々を撮影させて頂く機会を得られたのだと思う。
常にアーティストの方々へのリスペクトの気持ちを込めて撮影させて頂き、少しでも僕が撮影した事が意味のある事になって欲しいと願いながら撮影して来た。全ての撮影は僕にとっては大きな意味のある撮影ばかりだったが、撮影されたアーティストの方達にとって意味のあるものだったかどうかは分からない。それでも、僕はこれだけの素晴らしいアーティストの方々を撮影する事が出来た事を幸福に思う。
しかし、現在の僕はコンスタントにライブ撮影活動を出来ない状況が続いている。長年ライブ撮影活動は休止中と言い続けて来て、それでも声をかけて頂いた時に都合が付いた時だけ細々と撮影させて頂いて来たが、そろそろ今後も現在の状況から脱する事はなく、この細々としたペースで撮り続けるのが通常の状態である事を受け入れなければならないだろうと思う。
今はただ細々でも可能な限り、撮り続ける事が出来る限りはライブ撮影は続けて行きたいというのが僕の望みだ。
長く撮影出来ていないアーティストの方も多く、解散してしまったバンド、メンバーの多くが脱退してしまったバンド、アーティスト活動に終止符を打った方もいる。
人生には出会いもあれば別れもある。別れたとは思いたくないが、撮影させて頂いたアーティストの方々だけでなく、様々な事情で遠くに行ってしまったり、付き合いが途絶えてしまった友人も多くいる。
悲しい事だが、それでもこの同じ空の下で、その僕にとって大切な人達が、それぞれの人生をそれぞれその人らしく生きていてくれればそれで良いとも思う。空を見上げた時に、その人達もこの同じ空の下で頑張って生きているのだと思うと、自分も頑張って行こうと思えるし、今は遠く離れていても絆は繋がったままだと思う事が出来る。
そして、それぞれが自分の人生を精一杯生きて、それぞれに成長し、いつかまた再び出会う事が出来たなら、その時にはきっとかつてより美しいハーモニーを奏でる事が出来るに違いないと思う。
そう信じて、それを楽しみに思いながら、この先の人生を生きて行こうと思う。
♪空の下で 時はリズムとなって
空の下で 音楽はまた響き始める♪
MY LITTLE LOVER「空の下で」より
作詞:Takeshi Kobayashi